担保の土地を競売にかけられそうになった父子が銀行を脅迫。二人を応援したくなる。




1999ソスN6ソスソス28ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

June 2861999

 葛餅や小浜置き屋の箱はしご

                           平野紀美子

を味わうには、いささかの知識が必要だ。なぜ「小浜」という地名が必要なのか。角川版歳時記が載せている句だけれど、解説を読んでもさっぱりわからない。亀戸天神や川崎大師の葛餅(くずもち)が有名と書いておきながら、いきなりの例句が「小浜」では困るのである。菓子類にうとい私などには、チンプンカンプンだ。ただ、句の姿が美しく思えて、意味もわからずに覚えてはいた。で、最近の新聞(「産経」1999年6月22日付夕刊)の特集を見て、疑問は氷解。福井県の「小浜」が「葛まんじゅう」の名産地として紹介されていたからだ。亀戸天神などの葛餅とは違って、葛饅頭には餡が入っている。それを作者は別種である「葛餅」と表現したのである。単なる錯覚か、故意の言い換えかは知らない。いずれにせよ、角川の歳時記には「葛饅頭」の項目もあるのだから、引用するのなら、そのことを断っておくべきだった(と、人の過ちを言えた義理でもないけれど)。昔ながらの芸妓の「置き屋」の雰囲気を、葛餅と「箱はしご」(下側部を戸棚や引き出しなどに利用した階段)を配して、絵葉書的ながらも上手に表現した句と言えよう。道具立ての妙だ。(清水哲男)


June 2761999

 瓜の種噛みあてたりし世の暗さ

                           成田千空

は瓜といえば「胡瓜(キュウリ)」をさしたそうだが、今では瓜類の総称とする。「トウナス」も「ヘチマ」も瓜である。作者は現代の人だから、この場合は「マクワウリ」だろう。種をちゃんとよけて食べたつもりが、噛みあててしまった。その不愉快な気持ちが、「そう言えば」と世の中の暗さに行きあたっている。最近はロクなことがない、イヤな世の中だと独白したのかもしれない。ところで、作者の言う「世」とは、何をどのようにさしているのだろうか。普通に読んで「世の中」や「世間」、あるいは「社会」と受け取れるのだが、それはそれとして「世」ほどに厄介な概念も少ないなと、いつも思う。例えば私が「世」と言うときに、私の指示する「世」と相手が受けとめる「世」の概念とは、必ずしも符合するとは限らないからだ。「世」のひろがりを自然に世界情勢に結びつける人もいれば、ひどく狭い範囲でとらえる人もいる。お互いに「暗いね」とうなずきあっても、本当はうなずきあったことにはならない。滑稽ではあるが、こういうことは「世の中」でしょっちゅう起きている。ま、「世の中」とはそうしたものかも……。(清水哲男)


June 2661999

 モナリザに仮死いつまでも金亀子

                           西東三鬼

亀子(こがねむし)は、別名を「ぶんぶん」「ぶんぶん虫」などとも言う。金亀子は体色からの、別名はやたらにうるさい羽音からの命名だ。故郷の山口では、両者を折衷して「かなぶん」と呼んでいた。この虫は、燈火をめがけて、いきなり部屋に飛び込んでくる。で、電灯か何かに衝突すると、ぽたりと落ちて、今度は急に死んだふりをする。まことに、せわしない虫だ。作者の目の前には見事に死んだふりの金亀子と、部屋の壁ではモナリザが永遠の謎の微笑を浮かべている。さあて、この取り合わせは実にいい勝負だなと、腕組みをして眺めながら、作者は苦笑している。ところで、生きていくための死んだふりとは、奥深くも謎めいた自然の智恵だと思う。金亀子の天敵は何なのだろうか。そういえば「コガネムシハ、カネモチダ。カネクラタテタ、クラタテタ……」という童謡があった。人間の金持ちも「喧嘩せず」などとうそぶきながら、しばしば死んだふりをする。こちらの天敵が、国税庁国税局の「マルサ」であることは言うまでもあるまい。(清水哲男)




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