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1999ソスN6ソスソス30ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

June 3061999

 還暦を過ぎし勤めや茄子汁

                           前川富士子

者本人が、還暦を過ぎているわけではないだろう。そんな気がする。自分を詠んだとすると、素材が付き過ぎていて面白くない。夫か、父親か。作者は、今日も、その人のための朝餉を用意している。この季節になると、いつも当たり前のように茄子汁(なすびじる)を出してきた。出された人は黙々と食べ、いつもの時刻に今朝もまた出勤していく。何十年も変わらぬ夏場の茄子汁であり朝の情景であるが、黙々と食べて出勤していく人は、いつしか還暦を過ぎてしまった。変わらない食卓と、変わらないようでいて変わっていく人のありよう……。そこにさりげない視点を当てた、鋭い句だ。還暦を過ぎた私の日常も、半分は勤め人みたいなものだから、句を読んでドキリとさせられるものがあった。若いつもりではいても、このように見ている人にかかっては、当方の内心など何も関係はないのだ。だから「ご苦労さま」でもないし「そろそろ退職を考えては……」でもない、実にクールなところを評価したい。ここでベタベタしてしまっては、いつもと変わらぬせっかくの「茄子汁」の味が落ちてしまう。(清水哲男)


June 2961999

 見て覺え見て覺え今日沙羅の花

                           後藤夜半

羅(さら)の花は椿のそれに似ていることから、別名を「夏椿」とも言う。「沙羅双樹」は別種。花の名前を覚えるのは、なかなか大変だ。結局は、作者のように何度も見て記憶するしか方法がないわけだが、なにせ季節物なので、次の年に開花したときには忘れていたりする。その反面、めったに咲かない「月下美人」などの珍花(?!)は、一度見ると、もう忘れない。しかし、なかには何故か自分だけに覚えにくい花の種類もあるようで、一所懸命に何度も覚えるのだが、いつの間にか記憶が失せてしまうのだ。作者にとっての沙羅は、そういう花だったのかもしれない。句の「今日」を、今日こそは覚えるぞという「今日」ととらえると、作者の気合いが伝わってきて好もしい。若い女性的に言うと「カッワイイー」というニュアンスもある。句作当時の夜半の年齢は、八十歳くらいか。そのことを思うと、おのずからまた別の感慨もわいてくる。比べれば、私などはまだ小僧の年齢だ。負けてはいられない。よく見て、ちゃんと見て、しっかりと覚えよう。『底紅』(1978)所収。(清水哲男)


June 2861999

 葛餅や小浜置き屋の箱はしご

                           平野紀美子

を味わうには、いささかの知識が必要だ。なぜ「小浜」という地名が必要なのか。角川版歳時記が載せている句だけれど、解説を読んでもさっぱりわからない。亀戸天神や川崎大師の葛餅(くずもち)が有名と書いておきながら、いきなりの例句が「小浜」では困るのである。菓子類にうとい私などには、チンプンカンプンだ。ただ、句の姿が美しく思えて、意味もわからずに覚えてはいた。で、最近の新聞(「産経」1999年6月22日付夕刊)の特集を見て、疑問は氷解。福井県の「小浜」が「葛まんじゅう」の名産地として紹介されていたからだ。亀戸天神などの葛餅とは違って、葛饅頭には餡が入っている。それを作者は別種である「葛餅」と表現したのである。単なる錯覚か、故意の言い換えかは知らない。いずれにせよ、角川の歳時記には「葛饅頭」の項目もあるのだから、引用するのなら、そのことを断っておくべきだった(と、人の過ちを言えた義理でもないけれど)。昔ながらの芸妓の「置き屋」の雰囲気を、葛餅と「箱はしご」(下側部を戸棚や引き出しなどに利用した階段)を配して、絵葉書的ながらも上手に表現した句と言えよう。道具立ての妙だ。(清水哲男)




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