「放送文化」8月号で水城雄さんが当サイトを取り上げてくださいました。気分良風。




1999ソスN7ソスソス9ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

July 0971999

 キャベツ買へり団地の妊婦三人来て

                           草間時彦

腹の丸い女性三人が、丸いキャベツを買って抱えている。微笑を誘われる光景だ。句集の成立年代から推察して、1960年代前半か、あるいはもう少し以前の句だろう。しきりに「団地族」などという言葉が言われはじめたころ(1958)があって、各地に建設された2DKの団地には大勢の新婚夫婦が入居し、新しいライフスタイルの登場として、世間の耳目を集めた。その後「団地妻」という言い方も現われたが、これは日活ロマンポルノのタイトル上だけ。とにかく、当時の団地住まいは若いサラリーマンの憧れだった。そんなわけで、団地族の出産期はみな同じ。一挙に妊婦が目立つようになり、しばらくすると、今度は赤ん坊連れの奥さんが目立つようになった。そして現在はといえば、東京の多摩ニュータウンあたりで問題になっている、住民の高齢化が進んでいる。句の時期に生まれた赤ちゃんは、もうとっくに成人して団地から去ってしまったからだ。もとより当時の作者は、団地の未来像など気にもかけていなかったろうが、いま読み返すと、セピア色の写真を見るような、一抹の寂しさを含んだ句にも写る。誰でも、歳を取る。『中年』(1965)所収。(清水哲男)


July 0871999

 ゆやけ見る見えざるものと肩を組み

                           市川勇人

事な夕焼けは、今の都会でもしばしば見る機会がある。虹を見たときと同じように、そのことを急いで誰かに告げたくなる。でも、大人になってからのそんな時間には、たいていが独りぼっちの帰宅途中だったりするから、咄嗟に告げる相手がいない場合のほうが多い。作者も、やはり一人で真っ赤な夕焼けを見たのだ。独り占めにするにはもったいないほどの夕焼けだったので、その思いが高じた末に、「見えざるもの」と肩を組んでいる心持ちになった。このとき「見えざるもの」とは、子供の頃の友人の面影かもしれないし、ゲゲゲの鬼太郎のような親しみのある妖怪であったかもしれない。とにかく、独りで見たのではないと言い張ることによって、夕焼けの見事さが浮かび上がってくる。どこか、ノスタルジックな味も出ている。誰かと肩を組むことを、いつしか我々はしなくなってしまった。代わりに半世紀前まではめったにしなかった握手が日常的なふるまいとなった。肩組みと握手とでは親愛の情の表現の深浅が違うが、我々は情の深さを嫌うようになったらしい。この「我々」という言葉すら、いまや死語に近づいてきた。句はそうした「我々」の幻をも描いている。そこに、ノスタルジーの源泉があるというわけだ。「俳句界」(1999年7月号)所載。(清水哲男)


July 0771999

 七夕やまだ指折つて句をつくる

                           秋元不死男

を言うと、今日七夕の句を掲げるのには心理的な抵抗がある。本来は旧暦の七月七日(1999年では8月17日)の節句であるし、梅雨も盛りの頃とて、ろくに星空ものぞめないからだ。でも、東京あたりでは保育園や幼稚園をはじめとして、強引に今日を七夕として行っているので、こんなことで流れに逆らうのもはばかられ、しぶしぶの選句とはあいなった。句意は簡明だ。「指折つて句をつく」っているのは、日頃から俳句の心得がない人というわけで、この場合は子供だろう。七夕の当日になっても、なお短冊に書く句を作りあぐねている。少しは苛々もするが、一所懸命に指を折っている様子が可愛らしい。私が子供だった頃には、短冊に俳句などを書きつける意味を「文字の上達を祈るため」と教えられた。女の子は「裁縫の上達」のためだったらしい。そのために朝早く起き、里芋の葉にたまっている露を茶碗に集めてきて、硯(すずり)の墨をすった。戦前じゃないですよ、戦後の話ですよ。何を書いたかはすっかり忘れてしまったけれど、いっこうに字がうまくならなかったことからすると、心からの真剣な願いを書かなかったからにちがいない。どうも、私には上手に行事にノレない性格があるようだ。(清水哲男)




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