勢いよく両手を振って歩く女性。リュックで両手が解放されたからか。子供っぽいな。




1999ソスN7ソスソス11ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

July 1171999

 草茂る産湯浴びしはこの辺り

                           佐伯志保

ういう句は、頭の中では作れない。実際に、その場に立ってはじめて浮かぶ発想だ。作者は「故郷の廃家」ならぬ、もはや跡形もない生家の地に立っている。草の茂るにまかせた無惨な荒れ地だ。しかし、生家の見取り図はちゃんと覚えている。ここが居間、ここらへんが台所などと懐しんでいるうちに、親からよく聞かされていた産湯の場所も見当がついた。この瞬間に、作者の心は故郷としっかり結びついたに違いない。この地、この家に住んだ者でなければわからぬ、かけがえのない感動を得ただろう。似たような体験が私にもあって、似たような感動を味わったことがある。十数年ぶりに、故郷を訪れたときのことだ。生家ではないけれど、後に移り住んだ家は既に畠になっており、畦道に腰を下ろして懐しがっているうちに、何とも言いようのない思いが自然にこみあげてきたのだった。その夜、土地の知り合いに、私たちが出ていった後の家の様子を聞いてみた。「しばらくはそのまま立っていたけれど、ある日、朽ち木が倒れるように倒れていくのを見た」と、彼は言った。(清水哲男)


July 1071999

 あなただあれなどと母いふ暑さかな

                           竹内 立

にかく暑い。そこへもってきて、母親が何度も「あなただあれ」などと問いかける。ますます暑苦しい。しかし、この暑さも母親のボケも、どうなるものでもない。じっと耐えるしかない。脂汗までが浮いてくるようだ。作者は七十一歳。第4回「俳句αあるふぁ」年間賞受賞作(塩田丸男選)。しっかり者だった私の祖母も、晩年はボケた。遠く離れていたこともあり、ボケてからは会うこともなかったが、やはり「あなただあれ」を連発していたという。知人の話などを総合してみても、たいていボケた人は「あなただあれ」と言うようだ。そんな話を聞くたびに、この質問の意味は何なのかと思う。文字通りに、相手の名前や正体を質しているのだろうか。それとも幼児が「これなあに」を連発するように、正確な解答を求めるというよりも、コミュニケーションそれ自体を欲する問いにしかすぎないのか。どうも後者に近いような気がするが、このとき、質問を発する人の心持ちはどうなのだろう。気軽なのか、逆に苦しいのか。そこまでは、専門家にもわかるまい。「俳句αあるふぁ」(1999年6-7月号)所載。(清水哲男)


July 0971999

 キャベツ買へり団地の妊婦三人来て

                           草間時彦

腹の丸い女性三人が、丸いキャベツを買って抱えている。微笑を誘われる光景だ。句集の成立年代から推察して、1960年代前半か、あるいはもう少し以前の句だろう。しきりに「団地族」などという言葉が言われはじめたころ(1958)があって、各地に建設された2DKの団地には大勢の新婚夫婦が入居し、新しいライフスタイルの登場として、世間の耳目を集めた。その後「団地妻」という言い方も現われたが、これは日活ロマンポルノのタイトル上だけ。とにかく、当時の団地住まいは若いサラリーマンの憧れだった。そんなわけで、団地族の出産期はみな同じ。一挙に妊婦が目立つようになり、しばらくすると、今度は赤ん坊連れの奥さんが目立つようになった。そして現在はといえば、東京の多摩ニュータウンあたりで問題になっている、住民の高齢化が進んでいる。句の時期に生まれた赤ちゃんは、もうとっくに成人して団地から去ってしまったからだ。もとより当時の作者は、団地の未来像など気にもかけていなかったろうが、いま読み返すと、セピア色の写真を見るような、一抹の寂しさを含んだ句にも写る。誰でも、歳を取る。『中年』(1965)所収。(清水哲男)




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