ツ掘句

July 1571999

 子ら寝しかば妻へのみやげ枇杷を出す

                           篠原 梵

てしまった子供たちが可哀相だと受け取ってはいけない。むしろ、これは厚い(かどうかは別にして、とにかく)親心から発想された句だからである。というのも、昔は夜間に冷たい生ものなどを食すると、抵抗力の弱い子供などは、すぐに腹痛を起こしたりするという「衛生思想」が一般の常識だったからだ。したがって、寝る前に枇杷などとんでもないというわけで、作者は子供らの寝るときを待っていたのである。そういえば、私も母親から、枇杷だったか何だったかは忘れたけれど、子供の私にかくれて風呂場で何かを食べた覚えがあると聞かされたことがある。子供が寝るまでも待てなかったことからすると、アイスクリームの類だったのかもしれない。そんなことなら、気をきかせればよかった(笑)。おいしかっただろうか。一種、禁断の味のような感じはしたにちがいない。高齢化社会になってきて、この逆のケース(むろん子供は成人しているけれど)も、既にどこかで起きているような気がする。お互いに、明日は我が身ということさ。(清水哲男)


February 2122001

 春服の人ひとり居りやはり春

                           林 翔

の上では春となったが、まだ吹く風も冷たい。たいていの人が冬服のままでいるというのに、ひとりだけ「春服」を着ている人がいる。街中でちらりと見かけたのではなく、会合か何かの場所での作句だろう。「居り」という語が、作者がその人を認めている時間の長さを示しているからだ。地味な冬服に囲まれた明るく軽快な感じの「春服」一点なので、ずいぶんと目立つ。ましてや、女性であればなおさらに際立つ。もちろん男女いずれでもよいわけだが、作者はそんな「ひとり」を見やりつつ、「やはり春」なんだなと嬉しい気分になった。「やはり春」と自己納得したときに、心のうちにポッと明るいものが灯った。「でも、あの人、寒くないのかなあ……」。ところで、篠原梵に「人皆の春服のわれ見るごとし」がある。ちょうど、揚句に詠まれた人が詠んだような句だ。春めいてきたので、浮き浮きとした気分で春服を着て街に出てみたら、まだ「人皆」は冬服だった。じろじろと見られているようで、なんだか恥ずかしい。こういうときは、本人が意識するほど他人は見てはいないというが、いややっぱり、揚句の作者のように見ている人は見ているのだ。ただし、こうした感性は昔の人のそれであって、いまの若い人にはほとんど通じないかもしれない。なお「春服」はむろん春の季語だが、「春着」は晴着に通じ新年の季語に分類されている。念のため。「俳句研究」(2001年3月号)所載。(清水哲男)


May 2552002

 簾巻きて柱細りて立ちにけり

                           星野立子

語は「簾(すだれ)」で夏。夕刻になって、涼しい風を入れるために簾を巻き上げた。と、普段は気にも止めていなかったのだが、意外なほどに我が家の柱の細いことに気づかされたのである。簾の平面と柱の直線の切り替わりによって、以前より細くなったように見えた。もっと言えば、まるで「柱」みずからが、昼の間に我と我が身を細らせたかのようにすら見えてくる。こんなに細かったのか。あらためて、つくづくと柱を見つめてしまう……。「柱の細く」ではなく「柱細りて」の動的な表現が、作者の錯覚のありようを見事に捉えており、「巻きて」「細りて」と「て」をたたみかけた手法も効果的だ。日常些事に取材して、これだけのことが書ける作者の才能には、それこそあらためて脱帽させられた。俳句っていいなあと感じるのは、こういう句を読んだときだ。簾といえば、篠原梵に「夕簾捲くはたのしきことの一つ」があるが、私も少年時代には楽しみだった。巻き上げても両端がちゃんと揃わないと気がすまず、ていねいに慎重にきっちりと巻いていく。少しでも不揃いだと、もう一度やり直す。格別に整理整頓が好きだったわけではなく、単なる凝り性がたまたま簾巻きにあらわれたのだろう。いまでも乱暴に巻き上げられた簾を見かけると、直したくなる。『笹目』(1950)所収。(清水哲男)




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