五輪野球。パは選手を出し、セは出ししぶる。国威発揚意識の希薄なセに好感を持つ。




1999ソスN7ソスソス17ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

July 1771999

 ほろほろと病葉の散る日なりけり

                           宇田松琴

葉(わくらば)は、夏になって病害虫のせいで、あるいは風通しの悪さなどから変色して朽ち落ちる木の葉のこと。しかし句のように、そんなにも「ほろほろ」と落ちつづける事態は、めったに起きるものではないだろう。作者の実見と幻想とのあわいに、ほろほろと散っていたということか……。考えてみると「ほろほろ」という副詞を使うときは、たいていの場合に、幻想が入り交じってくるようだ。その幻想も「ほろほろ」と感じる主体の希望や願望が、色濃く投影されていて、早い話が自己陶酔につながる感覚的言語である。でも、私は「ほろほろ」を嫌いではない。灰田勝彦のヒットソングに「ほろほろこぼれる白い花を/うけて泣いていた愛らしいあなたよ」があったが、これなどは「ほろほろ」でもっているような歌である。「ほろほろ」と出なければ、この歌のセンチメンタリズムは成立しない。そして、昔から「ほろほろ」は書き言葉であり、日常会話で使う人は(たぶん)いなかったはずだ。言文一致の現代では、さながら「病葉」のように散ってしまった言葉だけれど、朽ちるにまかせるにはしのびない副詞だと思い、この句を紹介してみた次第である。(清水哲男)


July 1671999

 「三太郎の日記」も黴の書となれり

                           湯沢遥子

太郎といっても、漫画の主人公ではない。阿部次郎著『三太郎の日記』の青田三太郎のことだ。一知識人としての人生的哲学的懊悩を書きつづった内省の書とでも言うべきか。大正期から昭和初期にかけてのベストセラーだったらしい。我が書棚でも「黴(かび)の書」となっているが、ひさしぶりに引き抜いてみた。かつての旧制高校生だった叔父から、ずいぶんと昔にもらったものだ。どんな文体だったのか。その一節。「……俺の経験した限りでは酒も畢竟は苦かった。異性も畢竟は人形のやうに見えた。凡ての現実は、閃いて、消えて、虚無に帰する影のやうなものに過ぎなかつた。さうして俺は淋しかつた」。奥付を見ると大正六年の初刷で、昭和十五年には二十七刷となっている。定価は弍円五十銭。岩波書店刊。内容からして女性向きの本ではないので、句の「黴の書」の持ち主は兄弟か、夫か。いずれにしても、もはや誰の手に取られることもない一冊として、書棚の一隅に収められている。本は(そして人もまた)、かくのごとくに老いていくという心持ち。(清水哲男)


July 1571999

 子ら寝しかば妻へのみやげ枇杷を出す

                           篠原 梵

てしまった子供たちが可哀相だと受け取ってはいけない。むしろ、これは厚い(かどうかは別にして、とにかく)親心から発想された句だからである。というのも、昔は夜間に冷たい生ものなどを食すると、抵抗力の弱い子供などは、すぐに腹痛を起こしたりするという「衛生思想」が一般の常識だったからだ。したがって、寝る前に枇杷などとんでもないというわけで、作者は子供らの寝るときを待っていたのである。そういえば、私も母親から、枇杷だったか何だったかは忘れたけれど、子供の私にかくれて風呂場で何かを食べた覚えがあると聞かされたことがある。子供が寝るまでも待てなかったことからすると、アイスクリームの類だったのかもしれない。そんなことなら、気をきかせればよかった(笑)。おいしかっただろうか。一種、禁断の味のような感じはしたにちがいない。高齢化社会になってきて、この逆のケース(むろん子供は成人しているけれど)も、既にどこかで起きているような気がする。お互いに、明日は我が身ということさ。(清水哲男)




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