19年前、都立国立と当たった箕島・尾藤監督が「やりにくいなア」と言ってたっけ。




1999ソスN7ソスソス30ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

July 3071999

 暑気中りどこかに電気鉋鳴り

                           百合山羽公

烈な暑さが身体に命中してしまった。いわゆる「暑さ負け」(これも季語)の状態が「暑気中り(しょきあたり)」だ。夏バテよりも、もう少し病気に近いか。夏には元気はつらつとした句が多い反面、とても情けない句も結構たくさんある。「暑気中り」をはじめ、「寝冷え」「夏の風邪」「水中り」「夏痩」「日射病」「霍乱(かくらん)」「汗疹(あせも)」など、身体的不調を表現する季語も目白押しだ。不調に落ち込んだ当人は不快に決まっているが、傍目からはさして深刻に見えないのは、やはり夏という季節の故だろう。掲句もその意味で、作者にとってはたまったものではない状態だが、元気な人にはどこかユーモラスな味すら感じられるだろう。そうでなくともぐったりとしている身に揉み込むように、どこからか電気鉋(かんな)のジーッシュルシュルというひそやかな音が、一定のリズムのもとに聞こえてくる。辛抱たまらん、助けてくれーっ、だ。皆吉爽雨には「うつぶして二つのあうら暑気中り」があって、こちらの人は完璧にノビている。こんな句ばかりを読んでいると、当方が「句中り」になりそうである。(清水哲男)


July 2971999

 少女と駈く一丁ほどの夕立かな

                           岸田稚魚

の大気は不安定だ。晴れていたのが、一天にわかにかきくもり、ザーッと降ってくる。そんなに家が遠くないときには、作者のように、とにかく駆け出す。気がつくと、見知らぬ女の子も同じ方向にいっしょに並んで駆けている。こんなときには、お互い連帯感がわくもので、ちらりと目で合図を送るようにしながら、走っていく。このとき、作者は六十代。息も切れようというものだが、元気な女の子に引っ張られるようにして走っている自分が楽しくなっている。そんな気分が、よく出ている。数字にうるさい読者にお伝えしておけば、一丁(町とも)は六十間、一間をメートルに換算すると1.81818メートル。ということは、二人が走っているのは、およそ百メートルほどの近距離という計算だ。だが、もともとこの丁(町)という数助詞は、昔の町から隣町への距離を単位としたアバウトな数字である。したがって、一丁の意味は、ちょっとそこまでといった感覚のなかにあるものだった。句でも、同様だ。翌日からは、この二人が顔を合わせると、思わずもにっこりということになっただろう。夕立フレンドである。『萩供養』(1982)所収。(清水哲男)


July 2871999

 草のなかでわれら放送している夏

                           阿部完市

送マンのはしくれとして、目についた以上は、取り上げないわけにはいかない句だ。キーワードはもとより「放送」であるが、さて、どんな意味で使用されているのか。草っ原にマイクロフォンがあるわけもなし、通常の意味での「放送」ではないだろう。普通の意味から少し飛躍して、放電現象のようなことを指しているような気がする。すなわち、暑い夏の野原にある「われら」が、それぞれにそれぞれの思いを、無言のうちに身体から放電しているといった状態だ。主語を「われら」と束ねたのは、それぞれの思いが、お互いに語らずとも、作者には同じ方向に向いていることがわかっているからだ。が、カミュの『異邦人』ではないけれど、焼けつくような太陽のせいで、ここでの「われら」は、もしかすると幻かもしない。周囲には、誰もいないのだ。となれば、いわば「放電」と「放心」の境界で成立しているような句であるのかもしれぬ。ともあれ、暑さを暑さのままに、その最中(さなか)のぼおっとした感覚を半具象的に捉えた句として、記憶しておきたい。『にもつは絵馬』(1974)所収。(清水哲男)




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