介護保険。要介護ランクの認定規準も決っていない。認定申請まで二カ月もないのに。




1999ソスN8ソスソス3ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

August 0381999

 腹当や男のやうな女の子

                           景山筍吉

当(はらあて)は、寝冷えを防ぐための腹巻き。腹掛。小学生の頃まで、私も腹巻きをして寝ていたような記憶がある。小さな子供用のものは、金太郎のように紐をつけて首から吊り、背中で結ぶ。最近はとんと見かけなくなり、夏の項目から削除してしまった歳時記もある。住環境の変化のせいだろう。昼寝のあとの子供が、そのまんまの格好で、よく戸外で遊んでいたものだ。句も、そうした子供の姿をとらえている。金太郎の腹当をしているし、動きも活発だから、男の子かとよく見たら、そうではなかったというわけ。いつの時代にも、こういうタイプの元気な女の子はいるもので、私は好きだ。どうかすると、一緒に遊んでいる男の子が泣かされたりする。小山靖昭に「腹掛の腹ふくらます母の前」があり、子供が母親に蛙のように腹をふくらませて見せている。こちらは、男の子。女性が、はじめてのブラジャーでみずからの乳房の存在を強く意識するように、子供の腹掛けだって、明確に腹の存在意識につながるということだろう。(清水哲男)


August 0281999

 ぼんぼりの家紋違へて川床隣る

                           橋本美代子

床(ゆか)は、京都鴨川沿いや貴船のそれが有名。要するに、夏の間だけ茶屋や料亭が川の上に桟敷を突き出して作る座敷のこと。カフェテラスの川版だ。当然、川床の下には水が流れるわけで、見た目には涼しそうだが、実際はどうなのだろうか。京都に住んでいたので毎夏遠目にはしたが、そんな高級な夕涼みはしたことがなく、わからない。家紋入りのぼんぼりを立てるなどは、いかにも豪勢だ。到底、一般人の立ち入れる場所ではない。若いころには、こうした遊びに反発も覚えたけれど、最近はそうも思わなくなってきた。当然のことながら遊びも文化だから、豪勢な遊びのできる人は少ないとしても、その豪奢に引っ張られるようにして、一般人の遊びのレベルも上がってくる理屈だ。当今の料亭は汚職の取り引きの場所ともなりがちだが、その閉鎖的な空間が育ててきた極上の遊びの文化、衣食文化の功績には多大なものがありそうだ。ひたすらに遊びのためにだけ、ありたけの智恵を絞る仕事は、たとえ商売とはいえ、素晴らしいことではあるまいか。ところで、お宅の家紋は何ですか。我が家は、たしか抱茗荷(だきみょうが)だったと……。(清水哲男)


August 0181999

 柔かく女豹がふみて岩灼くる

                           富安風生

月。なお酷暑の日々がつづく。季語は「灼(や)く」で、言いえて妙。「焼く」よりも、もっと身体に刺し込んでくるような暑さが感じられる。昭和初期の新興俳句時代に、誓子や秋桜子などによってはじめられた比較的新しい季語だ。作者は動物園で着想を得たのだろうが、それを感じさせない奥行きを持つ。女豹(めひょう)のしなやかな姿態が、灼けた岩の上に、いとも楽々とある図は、どこかで現実を超えている神秘性すら感じさせる。灼けるような暑さのなかで、女豹のいる位置だけに、あたかも幻想の時が流れているようだ。同工の句に、中島斌雄の「灼くる宙に眼ひらき麒麟孤独なり」がある。こちらも動物園の世界の外を思わせはするけれど、「孤独」がいささか世界を狭くしてしまった。麒麟(きりん)を人間の「孤独」に引き寄せ過ぎている。つまり、麒麟の心を読者に解説したサービスによる失敗だ。見たままを言いっ放しにする度胸。言葉の直球を投げ込む度胸。俳句作りには、いつもこの度胸が問われている。(清水哲男)




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