「若い日本の行く道を照らすこの旗、仰ごうよ」。戦後に歌われた「日の丸の歌」だ。




1999ソスN8ソスソス11ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

August 1181999

 叩かれて昼の蚊を吐く木魚哉

                           夏目漱石

要。僧侶が木魚をポンポンと叩いたら、中で昼寝を決め込んでいた蚊が、飛んで出てきた。それがまた、あたかも木魚が自分で吐いたかのように出てきたというのだから、少なくとも数匹はいたのだろう。「いやあ、驚いたのなんの」と、飛んで出た蚊が言ったかどうかは知らないが、落語好きな漱石ならではの軽妙な句だ。実はこの句ができる四年前に、もう一句「木魚」を詠んだ句「こうろげの飛ぶや木魚の声の下」がある。「こうろげ」は虫の蟋蟀(こおろぎ)。先の蚊の句は、おそらくこの句が下敷きになっていると思われるが、「こうろげ」句よりは洒脱でずっと良い。ところで「こうろげ」句は、二十五歳で早逝した兄の妻・登世の通夜での思いを詠んでいる。登世は漱石が唯一「美人」と言い切った女性であり、死なれた悲しみは深かったようだ。つまり、洒脱に俳句を作る心境になどなくて、こういう句になったということだが、そんな事情を知ると、かなり読む意識が変わってくる。予備知識なしに読んだときとは、句の味も違ってくる。でも、これが俳句というものだろう。予備知識の有無による観賞の差異の問題は、長く俳句の読者を悩ませつづけてきた。『漱石俳句集』(岩波文庫)所収。(清水哲男)


August 1081999

 学校の月下美人を持ち帰る

                           光成晶子

下美人とはサボテンの一種で、夏の夜まっ白で大輪の花が咲き、数時間でしぼむ……と『新明解国語辞典』にある。神秘的な名と、あまり見かけない花とあって、最近では人気の季語となっている。その月下美人の鉢植えを、学校から家に持ち帰るというのが愉快。生徒が夏休み中の職員室に入り込み、盗んできたのかもしれない。又は、作者が学校の先生か職員で(どうもそのようですが)、保護のために家に持ち帰ったのかもしれない。いずれにしても、この月下美人の運命は、いかなることにあいなりましょうか。作者の光成さんは若い女性で、詩を書くときは「成田ちる」と名乗っている。この句は、彼女の個人誌に発表された俳句の一つ。他にも、いい句があります。(井川博年)


August 0981999

 朝顔や濁り初めたる市の空

                           杉田久女

女の代表作。既に二女の母だった三十八歳(1927)の作である。「市(いち)」は、彼女が暮らしていた小倉の街だ。このころの久女は、女学校に図画と国語を教えにいったり、手芸やフランス刺繍の講習会の講師を勤めるなど、充実した日々を送っていた。そうした生活が反映されて、まことに格調高く凛とした一句となった。今朝も庭に咲いた可憐な朝顔の花。空を見上げると小倉の街は、はやくも家々の竃(かまど)からの煙で、うっすらと濁りはじめている。朝顔の静けさと市の活気との対照が、極めてスケール大きく対比されており、生活者としての喜びが素直に伝わってくる。朝顔は夏に咲く花だけれど、伝統的には秋の花とされてきた。ついでに言えば「ひるがお科」の花である。久女は虚子門であり当然季題には厳しく、秋が立ってから詠んだはずで、「濁り初めたる市の空」にはすずやかな風の気配もあっただろう。まだスモッグなど発生しなかった時代の都会の空は、濁り初めても、かくのごとくに美しかった。『杉田久女句集』(1952)所収。(清水哲男)




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