「耐えがたきを耐えてもと来た道に出る」(本日付朝日川柳欄より)。川柳人魂躍如。




1999ソスN8ソスソス15ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

August 1581999

 敗戦の前後の綺羅の米恋し

                           三橋敏雄

スコミなどでは、呑気に「終戦記念日」などと言う。なぜ、まるで他人事みたいに言うのか。まごうかたなく、この国は戦争に敗れたのである。敗戦の日の作者は二十五歳。横須賀の海軍工機学校第一分隊で、その日をむかえた。句が作られたのは、戦後三十年を経た頃なので、かつての飢餓の記憶も薄れている。飽食の時代への入り口くらいの時期か。それが突然、敗戦前後に食べた「綺羅(きら)の米」が恋しくなった。「綺羅」は、当時の言葉で白米のことを「銀シャリ」と言っていたので、それを踏まえているのだろう。なかなかお目にかかれなかった「銀シャリ」のまぶしさ、そして美味しさ。いまの自分は、毎日白米を食べてはいるが、当時のそれとはどこか違う。輝きが違う。あの感動を、もう一度味わいたい。飢餓に苦しんだ世代ならではの作品だ。若き日の三橋敏雄には、他に戦争を詠んだ無季の佳句がいくつもある。「酒を呑み酔ふに至らざる突撃」「隊伍の兵ふりむきざまの記録映画」「夜目に燃え商館の内撃たれたり」など。『三橋敏雄全句集』(1982)所収。(清水哲男)


August 1481999

 づかづかと来て踊子にさゝやける

                           高野素十

句で「踊子」といえば、盆踊りの踊り手のこと。今夜あたりは、全国各地で踊りの輪が見られるだろう。句の二人は、よほど「よい仲」なのか。輪のなかで踊っている女に、いきなり「づかづか」と近づいてきた男が、何やらそっと耳打ちをしている。一言か、二言。女は軽くうなずき、また先と変わらぬ様子で輪のなかに溶けていく。気になる光景だが、しょせんは他人事だ……。夜の盆踊りのスナップとして、目のつけどころが面白い。盆踊りの空間に瀰漫している淫靡な解放感を、二人に代表させたというわけである。田舎の盆踊りでは句に類したこともままあるが、色気は抜きにしても、重要な社交の場となる。踊りの輪のなかに懐しい顔を見つけては、「元気そうでなにより」と目で挨拶を送ったり、「後でな……」と左手を口元に持っていき、うなずきあったりもする。こういう句を読むと、ひとりでに帰心が湧いてきてしまう。もう何年、田舎に帰っていないだろうか。これから先の長くはあるまい生涯のうちに、果たして帰れる夏はあるのだろうか。『初鴉』(1947)所収。(清水哲男)


August 1381999

 灯籠や美しかりし母とのみ

                           河原白朝

盆に、はるばる十万億土から還ってくる精霊を迎えるために灯す燈籠。この句は、十年以上も前に、TOKYO FMの番組で紹介したことがある。その頃に毎朝放送していた俳句を集めて、後にラジオそのままの語り口を生かし(イラストレーションをつけてくれた友人の松本哉君が、毎朝筆記してくれていた…)て、『今朝の一句』(河出書房新社・1989)という本になった。哀しいかな絶版になってしまったので、ここに再録しておきたい。「仏さまを迎える盆燈籠を吊っているというお宅も多いかと思いますが、作者のまだ小さい頃、物ごころがつかない頃に、作者のお母さんは亡くなっているわけですね。それで、生前のお母さんを知っている人が、君のお母さんはほんとにきれいな人だったよと、いつもこの時期にしのんでくれる。でも、写真一枚残っていない。悲しい句です……」。何度読み返しても、悲しい句であり、美しい句だ。「去る者は日々に疎し」とも言うけれど、作者の場合は逆であろう。美しかったお母さんに、一読者でしかない私も、合掌します。(清水哲男)




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