第一勧銀や富士銀が事実上の合併へ。金融再編のビジュアル系登場という感じがする。




1999ソスN8ソスソス20ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

August 2081999

 油蝉死せり夕日へ両手つき

                           岡本 眸

ろそろ、油蝉の季節も終りに近づいてきた。地上に出てきた蝉の寿命は短いから、夏の間蝉はいつでも死につづけている理屈だが、この句は夕日を強調していることもあり、初秋に近い作品だろう。偶然の死に姿とはわかっていても、その夕日に謝しているような姿勢が、心を有したものの最期のように思えてくる。激しくも壮烈な死を遂げた、という感じだ。荘厳ですらある。作者は見たままに詠んでいて、格別の作為はない。そこが、よい。見事という他はない。このところ、放送の仕事が終わると、バス・ストップまで西日を正面から浴びて歩く。それだけで、汗だくになる。バスに乗ったら乗ったで、その強烈な陽射しが、冷房を利かせないほどだ。とても、夕日側の窓の席に着く度胸はない。少々混んでいても、そんな席だけはぽつりぽつりと空いているのだから、物凄い暑さである。バスを降りて五分ほど、今度は蝉しぐれと排気ガスでむうっとした道を帰る。そういえば、今年はまだ蝉の抜け殻も死骸も見ていない。『冬』(1976)所収。(清水哲男)


August 1981999

 茄子焼いて牛の生れし祝酒

                           太田土男

の仔が無事に生まれた。出産に立ち合った男たちの顔に、安堵の表情が浮かぶ。農家にとっては一財産の誕生だから、当然、すぐに祝い酒となる。とりあえずは茄子をジュージューと焼き、冷や酒で乾杯する。野趣溢れる酒盛りだ。ところで、この句は角川版歳時記の季語分類によると「茄子の鴫焼(なすのしぎやき)」の項目に入っている。「茄子の鴫焼」は、茄子を二つに割って焼き、きつね色になったら練り味噌を塗り、さらに焼き上げる。どちらかといえば手間をかけた上品な料理だが、この場合、そんなに面倒な焼き方をするだろうか。と、かつての農家の子は首をかしげている。私の田舎では、単純に茄子を二つに割って焼き、醤油をざぶっとかけて食べていた。ただし、そうやって焼く茄子は、普通の茄子ではなくて、白茄子と呼んでいた大振りの茄子である。本当の色は白ではなくて、瓜に近い色だったが。作者に尋ねてみないとわからないことだけれど、句の勢いからして、どうも鴫焼ではなさそうな気がする。検索ページでは「茄子」からも「茄子の鴫焼」からも引けるようにしておく。(清水哲男)


August 1881999

 手花火に明日帰るべき母子も居り

                           永井龍男

きな花火大会はあらかた終わってしまったが、子供たちの手花火は、まだしばらくつづく。庭や小さな公園で、手花火に興ずる子供たちは生き生きとしている。夜間に外で遊べる興奮もあるからだろう。そんな小さな光の明滅の輪の中に、明日は普段の生活の場所に帰っていく母子の姿もある。「また、来年の夏に会いましょう」と、作者は心のうちで挨拶を送っているのだ。手花火は、小さな光を発して、すぐに消えてしまう。そのはかなさが、しばしの別れの序曲のようである。気がつくと、吹く風には秋の気配も……。夏休みの終りの頃の情緒は、かくありたい。私の父親は、戦後間もなくの東京(現在の、あきる野市)の花火屋に勤めていた。両国の大会では、何度も優勝している。打ち上げると「ピューッ」と音がして上がっていく花火(業界では「笛」と呼ぶ)は、父が考案したものだ。その父がしみじみと言ったことには、「大きい花火はつまらんね。いちばん面白いのは線香花火だな」と。父の博士論文のタイトルは「線香花火の研究」であった。(清水哲男)




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