Number別冊「プロ野球」。レイアウトに不満。野球って、こんなにプリティなのか。




1999ソスN8ソスソス29ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

August 2981999

 下駄履いてすずしき河岸の往還り

                           尾村馬人

ういう句を読むと、いいなあ、と溜息が出る。河岸(かし)というのは魚河岸(うおがし)のことで、現在は築地にあるが、昭和の初め迄は江戸時代以来の日本橋にあった。作者の馬人は、明治42年生まれ。日本橋魚河岸問屋「尾久」の三男。久保田万太郎の「春泥」(今の「春燈」にあらず)に投句と、『現代秀句選集』(別冊「俳句」・平成10年刊)にある。魚河岸の人なのに、馬人とはこれいかに。何かいわれがあるのだろうか。万太郎門下には、このタイプの人が多い。近くは、鈴木真砂女さんがそうである。いずれも市世の生活を大事にして、日頃の生計(たつき)にいそしむ。そして、この生き方が句に生気を与え、日常句に気品を与える基となっているのである。季語は「すずし」で、夏。「往還り」は「ゆきかえり」。(井川博年)


August 2881999

 駅弁にはららご飯の加はりぬ

                           伊藤玉枝

繁に旅をしている人だろうか。それとも、駅弁を売っている人なのか。季節によって、駅弁の種類も変化する。新しいメニューに、今日から「はららご飯」が登場した。いよいよ秋だなあ、という感慨。北海道の読者ならご存知だろうが、「はららご飯」は「はらら・ごはん」ではなく、「はららご・めし」と読む。「はららご」には「腹子」という漢字をあて、主として鮭(さけ)の卵のことを言う。塩漬けにして食べるのが一般的か。この駅弁を食べたことはないけれど、いつか機会を得たいと思う。東京のデパートでよく開かれる「北海道名産市」あたりに出るのかもしれない。話は飛ぶが、はじめてヨーロッパで汽車の旅(パリからアムステルダムまで)をしたときに、列車環境はすこぶる快適だったのに、何か物足らない気もした。駅弁がなかったせいだ。まさか「はららご飯」があるなどとは思わなかったけれど、停車する駅ごとにきょろきょろと見回してみても、駅弁に代わりうる食べ物は売っていない。腹にたまりそうなものといえば、バナナくらいだった。せめて飛行機の機内食程度のものを売ってもよさそうなのに……。素早く作って素早く売り捌くという発想が、性に合わないのかもしれない。(清水哲男)


August 2781999

 蜂さされが直れば終る夏休み

                           細見綾子

さされは、いたずら坊主の勲章だ。顔や手をさされて真っ赤にはれ上がっていると、仲間たちから尊敬のまなざしを集めることができる。「勇気ある者」というわけだ。何度もさされたことがあるが、あれは猛烈に痛い。徐々に患部が熱を持ち、疼いてくる。勲章なんていらないからと、ひどく後悔する。後悔するのは、さされるような振る舞いをしたからで、こちらが仕掛けなければ、蜂もさしたりはしないものだ。そんなことは百も承知で、挑発する。蜂の巣を、いきなり棒切れで叩き落としたりする。すかさず、わあっと攻撃してくる蜂の大軍を、巧みにかわしたときの得意たるや、天にも登る心地である。たとえ失敗してさされても、仲間に自慢話ができ、どっちに転んでも満足感は得られるのだが、やはり痛いものは痛い。そんな無茶をやった子の母親は、作者のように早く直ってほしいと心配する。経験上、何日くらいで治癒するかを知っている。数えてみると、直るころには夏休みもおしまいだ。いたずら坊主が学校に行ってくれるのはやれやれだが、一方で心淋しい気もしている。子供のアクシデントを素材に、晩夏の感傷を詠んだ句だ。母親ならではの発想だろう。(清水哲男)




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