昨日は呑気に過ごした。今日もそうありたい。が、呑気を指向するのは呑気じゃない。




1999ソスN9ソスソス12ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

September 1291999

 玉蜀黍かじり東京に未練なし

                           青野れい子

うだろうか。作者はそう言いながらも、少しは未練があるのではなかろうか。もちろん、あるのだ。あるのだけれど、未練はないと、今の自分に言い聞かせておく必要があるのだ。かつて暮らしていた東京では食べられなかった新鮮な玉蜀黍(とうもろこし)に歯をあてながら、懸命に自己納得しようとしている作者の姿がいじらしい。……と、現に東京に住んでいる私が思うのは傲慢であろうか。そうかもしれないけれど、作者の気持ちがわかるような気がするのは、二度にわたって、私も東京を十数年離れた体験があるせいなのだろうと思う。一度目は家庭の事情で、二度目はみずからの意志で。「恋の都」だの「夢のパラダイス」だのと(古くて、すみません)アホみたいな流行歌の一節を思い出しては、東京へ行かなければと焦り悩んだものだった。どうだろう。そのような東京の「魔」は、いまだに存在しているのだろうか。東京の玉蜀黍はあいかわらず不味いけれど、依然として「魔」のほうだけは健在のような気がする。ところで、今朝までに、集団就職の子供たちや季節労働者を迎えてきた夜行列車専用の上野駅「18番ホーム」が消滅したという。(清水哲男)


September 1191999

 私生児が畳をかつぐ秋まつり

                           寺山修司

いころに父親を失った作者が、「私生児」に関心を抱いたのは当然だろう。関心の持ち方も、どちらかといえば羨望を覚えるニュアンスのそれであった。彼ほどに父親の不在にこだわり、また母親の存在にこだわった表現者も珍しい。作品のなかで、何度も母を殺している。この句は、二通りの解釈が可能だ。一つは、主人公が畳屋の職人で、秋祭の最中にも仕事に追いまくられているという図。他の若い衆は威勢よく神輿をかついでいるというのに、畳をかつがなければならない身の哀しさ。もう一つは、まさに字義通りに、秋祭でひとり実際に畳をかついでいる男という解釈。外国の実験映画に、波打ち際でひたすらタンスをかついで歩くだけの男たちを撮影した作品があった。日常感覚を逸脱する奇妙なリアリティを感じた覚えがある。句は、その世界に近い。……と、二通りに読んでから、今度は二つの解釈を合体させる。すると、寺山修司の意図した世界が見えてくる。日常的な哀話が下敷きとなって、非日常的な男の行為が目の前に出現すると、句は一つの現実的なオブジェのように起き上がってくるのだ。狂気の具象化と言ってもよいだろう。『花粉航海』(1975)所収。(清水哲男)


September 1091999

 秋風や昼餉に出でしビルの谷

                           草間時彦

フィス街の昼時である。山の谷間に秋風が吹くように、ビルの谷にも季節を感じさせる風は吹く。秋だなアと風に吹かれながら、なじみの定食屋の暖簾をくぐると、おやじさんが「今日は鯖がうまいよっ。秋はやっぱりサバだねエ」などと声をかけてくる。そこで、ひょっとすると冷凍物かもしれない格安の「秋鯖の味噌煮」なんてものを注文する羽目になったりする。九月初旬、安い秋刀魚を出す店も大いにアヤしい。定食屋の多くは、しょせん舌の肥えていない、量ばかり要求する客を相手に商売をしているのだから、それでいいのである。仕事が順調であれば、それも楽しいのだ。が、そうでないときには、少々イヤミを言って引き上げる。そんなこんなで、春夏秋冬の過ぎていくサラリーマン生活。その哀歓が、さりげなく描かれている句だ。「昼餉」時という設定が、多くのサラリーマンの共感を呼ぶだろう。勤めた人にしかわからないが、なんでもないような昼餉時に、あれで結構ドラマは起きているのだ。珍しく上司に鰻屋にでも誘われようものなら、サア大変。社に戻るまでの秋風の身にしみることったら……。『中年』(1965)所収。(清水哲男)




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