急に涼しさが増してきた東京。初秋を感じないままの仲秋だ。明日は、仲秋の名月。




1999ソスN9ソスソス23ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

September 2391999

 靴提げて廊下を通る鶏頭花

                           北野平八

うかすると、古い飲屋での宴会などで、こういう羽目になる。入り口に下駄箱がなく、部屋の近くまで履物を提げていかなければならない。どうしてなのだか、あれは気分もよくないし、靴を提げている自分が哀れに思えてくる。おまけに、靴というものがこんなにも大きく重いものだとはと、束の間ながら、ますます不快になる。トボトボ、トボトボ。そんな感じで廊下を歩いていくと、廊下添いの庭とも言えぬ庭に生えている真っ赤な鶏頭どもに、まるであざ笑われているかのようだ。鶏頭というくらいで、この花は動物めいた姿をしているので、またそれが癪にさわる。誇張して書いたけれど、こうした些事をつかまえて俳句にできる北野平八の才質を、私は以前から羨ましいと思ってきた。それこそ些事を山ほど書いた虚子にも、こういう句はできない。虚子ならば宴席を詠むのだし、平八は宴席に至る廊下を詠むのである。どちらが優れていると言うのではなく、人の目のつけどころには、天性の才質がからむということだ。虚子の世界は虚子にまかせ、平八のそれは平八にまかせておくしかないのだろう。『北野平八句集』(1987)所収。(清水哲男)


September 2291999

 稲びかり少女は胸を下に寝る

                           加畑吉男

巻は、「胸を下に」という描写の妙にある。単にうつ伏せに寝ているだけなのだが、「胸を下に」と言うことで、少女の身の固さが伝わってくる。でも、少女は稲びかりが恐くて、そんな身の縮め方をしているのではない。このときに、少女は既に眠っているのだ。だから、彼女は稲びかりなど知らないのである。ここに、一種幻想画のようなポエジーが発生する。何も知らずに寝ている少女の寝室の窓に、邪悪な稲びかりが青白く飛び交っている。「胸を下に」の防御の姿勢の、なんと危うく脆く見えることか。はたして、少女の運命や如何に……。とまあ、ここまでバタ臭く読む必要はないと思うが、これから大人の女に成長していく少女の身の上に、思いもよらぬ蹉跌が稲びかりのように訪れるときもあるだろう。そのことを作者は予感したような気になり、「胸を下に」寝る少女の身の固さを愛しく思っている。そしてたぶん、この少女は実在してはいないのだろう。稲びかりのなかで、ふと浮かんだ幻想の少女像なのだと思いたい。そのほうが、少女像はいっそう純化されるからである。助詞の「は」が、そのように読んでほしいと言っている。(清水哲男)


September 2191999

 一家に遊女もねたり萩と月

                           松尾芭蕉

の『おくのほそ道』のなかでの唯一の色模様。というほどでもないけれど、田舎わたらいをする遊女と同宿したエピソードは、この旅行記を大いに盛り上げている。「一家」は「ひとつや」。田舎(市振)の宿だから、隣室の会話は筒抜けだ。芭蕉が「枕引よせて」寝ていると、次の間から遊女の哀れな身の上話が洩れ聞こえてきてしまう。翌朝、出発しようとしている芭蕉と曾良にむかって、彼女は心細いので「見えがくれにも御跡をしたひ侍ん」と頼み込むのだが、この後の芭蕉の返事が格好よい。「我々は所々にてとゞまる方おほし。只(ただ)人の行(ゆく)にまかせて行(ゆく)べし。神明の加護かならず恙(つつが)なかるべし」と、クールにも断っている。そうは言ったものの「哀さしばらくやまざりけらし」と書いた芭蕉の得意や、思うべし。このシチュエーションのなかでの、この句である。世間を捨てた者同士が、寄り添うこともなく別々に流れていくという美学。それはまさに「萩」と「月」のように、同じ哀調をかもし出しながらも、ついに触れあうこともない関係に相似している。蛇足ながら(御存じとは思うが)、遊女とのこの話がフィクション(真っ赤な嘘)であったことは、多くの野暮な研究者たちが立証ずみである。(清水哲男)




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