September 251999
秋出水乾かんとして花赤し
前田普羅
台風や集中豪雨のために洪水となる。それが「秋出水(あきでみず)」。句は、洪水がおさまって一段落したころの様子を詠んでいる。信じられないような青い空が戻ってきて、人々は後片づけに忙しい。出水にやられると、何もかもが泥だらけになってしまうので、とにかく始末が悪いのだ。もちろん、水に漬かった花々も泥にまみれている。赤い花というのだから、曼珠沙華だろうか、それとも鶏頭の類だろうか。ふと目をやると、いつもよりひときわ花の赤い色彩が鮮やかに映えて見えた。そういう情景だ。出水の灰色に慣れた目で見るのだから、泥のついた花であろうと鮮やかに見える理屈だが、普羅の意識はもっと先へと自然に進み、「乾かんとして」と、いわば「花の意志」を詠み込んでいる。俳句の素人と玄人を識別する物差しがあるとすれば、このあたりの詠み込み具合が基準の一つになるのだろう。同じような情景を詠んだ句は他にもたくさんあると思うが、「乾かんとして」と花に意志があるように自然に詠むのは、普羅ひとりである。しかもこの場合に、「乾かんとして」という表現は奇態なそれでもなんでもなく、言われてみれば「そうだなあ」というところが、実に技巧的でもあり、技巧を感じさせない技巧の妙でもある。「かなわねえなア」と、私などはうなだれてしまう。(清水哲男)
September 082001
泥の荷の上に教科書秋出水
加藤義明
秋は台風や集中豪雨で、家や田畑を水流の下に埋めることがある。これが「秋出水(あきでみず)」で、単に「出水」と言えば、梅雨期のそれを指す。私の田舎での経験では、いわゆる床下浸水に何度か見舞われ、朝目覚めると土間に下駄がぽこぽこと浮いていたことを思い出す。そこらへんに置いてある道具類は、みんな泥をかぶってしまい、水が引いた後の始末が大変だった。掲句も、水が引いた後の句である。後始末に忙しい他家の様子を、ちらりと垣間見た句だろう。泥だらけになった荷物が干されていて、いちばん上に「教科書」の乗っているのが見えた。ただそれだけのことだが、その家の大人たちの気配りが、よくわかって好もしい。子供には「教科書」は毎日必要なものだし、いちばん大切なものとしていちばん早く乾かさなければと、いちばん乾きそうなまだ泥だらけの「荷の上」に置いてあった。あるいは出水を予想して、最初から難を逃れるべく高いところに置いてあったのかもしれないが、いずれにしても水をかぶってしまった「教科書」である。このときに「教科書」は、学習のためのツール以上の意味を持っている。そんなことはどこにも書いてないけれど、この家の子育てのありようや教育観までがうかがわれるようで、字面をはるかに越えた雄弁な中身となった。『新歳時記・秋』(1989・河出文庫)所載。(清水哲男)
August 182002
流れよる枕わびしや秋出水
武原はん女
秋 には、しばしば集中豪雨や台風のために洪水に見舞われる。これが「秋出水(あきでみず)」。昔は、一村が流出することも珍しくはなかったという。田舎にいたころ、目覚めたら、土間に下駄がぷかりぷかりと浮いていた経験が、何度かある。水は低きに流れる。なんて小学生の常識だけれど、本当にそうなんだと納得できたのは、あのときだった。句は、大荒れの天候が一段落した後の情景だ。上流からは、実にいろいろなものが流れてくる。東京の多摩川近くに住んでいたことがあるので、私にもよくわかる。折れた大きな木の枝だとか材木だとか、濁流に翻弄されて形も定かでないいろいろなものが……。そんななかに「枕」があるのを、作者は認めた。枕の主の家は、たぶん流失したのだろう。そう思うと「わびしや」と言うしか、他に言葉がないのである。俳句にうるさい人は、この「わびしや」がくどくてうるさいと言うかもしれないけれど……。作者の武原はんは、地唄舞の名手だった。明治三十六年徳島に生まれ、十二歳で大阪の大和屋芸妓学校に入学。三味線・囃子・狂言・能・仕舞などの芸を学んだ後上京し、高浜虚子(俳句)藤間勘十郎・西川鯉三郎(舞踊)に師事。山村流を独自のものとし、代表作に「雪」「鐘の岬」などがある。写真は、特大の「秋出水」に見舞われたドイツのテレビ局ZDFのサイトより借用。『合本俳句歳時記』(1974・角川書店)所載。(清水哲男)
August 292008
秋出水家を榎につなぎけり
西山泊雲
出水で舟を岸辺に繋ぐくらいの発想しか通常は出てこない。それは自分の中に累積したイメージで作ろうとするからだろうな。イメージは自由に拡がると思うと大間違い。想像の方が先入観に縛られて古い情趣まみれの世界しか生み出せない。言葉だけをいじって清新なイメージを紡ごうと四苦八苦したあげく他ジャンルの表現を借用してモダンを気取ることになる。「馬酔木」の出発以来俳句は「見て作る」か「アタマで作る」かのせめぎあいだった。表現はすべてアタマで作るのだなんてことは言わずもがな。要は「もの」のリアルをまず起点に置くかどうかということ。こういう句を見ると両者のせめぎあいははっきり決着がついた感がある。家をつなぐ。榎につなぐ。どちらもアタマでは作れない。こんなリアルは見ることの賜物。『新歳時記増訂版虚子編』(1951)所載。(今井 聖)
September 212014
ちちろ鳴く壁に水位の黴の華
神蔵 器
昭和57年9月12日。台風18号の影響で、都内中野区の神田川が氾濫。作者は、この時の実景を15句の連作にしています。「秋出水螺旋階段のぼりゆく」「秋出水渦の芯より膝をぬき」都市にいて、水害に遭う恐怖は、底知れなさにあるでしょう。膝をぬくことで、一命をとりとめた安堵もあります。「鷺となる秋の出水に脛吹かれ」水中に立つ自身を鷺にたとえています。窮地を脱して少し余裕も。「炊出しのむすびの白し鳥渡る」何はともあれ、白いおむすびを食べて人心地がつきます。「しづくせる書を抱き秋の風跨(また)ぐ」家の中も浸水していて、まずは水に浸かった愛蔵書を救出。「出水引くレモンの色の秋夕日」レモンの色とは、希望の色だろうか。オレンジ色よりも始まりそうな色彩です。「畳なきくらしの十日萩の咲く」「罹災証明祭の中を来て受けぬ」。掲句は、この句の前に配置されています。「ちちろ」はコオロギのこと。「壁に水位の黴の華」というところに、俳人の意地をみます。凡人なら、「黴の跡」とするでしょう。しかし、作者は「華」として、あくまでも水害の痕跡を風雅に見立てます。水害を題材にして俳句を作るということは、体験から俳句を選び抜くことでもあるのでしょう。そこには自ずと季語も含まれていて、作者自身も季節の中の点景として、余裕をもって描かれています。『能ケ谷』(1984)所収。(小笠原高志)
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