早朝、木犀の香が漂ってきた。近所の樹ではまだ咲いていない。どこの樹の花だろうか。




1999ソスN9ソスソス30ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

September 3091999

 孔子一行衣服で赭い梨を拭き

                           飯島晴子

(あか)は、赤色というよりも赤茶けた色。野性的な色だ。わずか十七文字での見事なドラマ。曠野を行く孔子一行の困苦と、しかしどことなくおおらかな雰囲気が伝わってくる。句についての感想で、かつて飯田龍太は衣服の色が「赭い」と読んでいるが、いささかの無理があるだろう。失礼ながら、誤読に近い。私としては素直に梨が赭いと読んで、衣服の色彩は読者の想像のうちにあるほうがよいと思う。ただし、どんな誤読にも根拠があるのであって、たしかにこの「赭」には、茫漠たる曠野の赤土色を思わせる力があるし、光景全体を象徴する色彩として機能しているところがある。句全体が、赭いといえば赭いと言えるのだ。それはともかくとしても、農薬問題以来、私たちは衣服で梨や林檎をキュッキュッと拭って齧ることもしなくなり、その意味からも、この句がますますおおらかに感じられ、スケールの大きさも感じられるというわけだ。したがって「まさしく才智きわまった作」と龍太が述べている点については、いささかの異存もない。「内容をせんさくして何が浮かびあがるという作品ではない」ということについても。『朱田』(1976)所収。(清水哲男)


September 2991999

 鰯めせめせとや泣子負ひながら

                           小林一茶

国信州信濃に鰯(いわし)を売りに来るのは、山を越えた越後の女。赤ん坊を背負っての行商姿が、実にたくましい。しかも昔から「越後女に上州男」といって、越後女性の女っぷりの評判は高かった。相馬御風『一茶素描』(1941)のなかに、こんなことが書いてある。「どんなにみだりがはしい話をもこちらが顔負けするほどに露骨にやるのが常の越後の濱女の喜ばれることの一つ」。となると、例の「あずま男に京女」のニュアンスとは、かなり懸け離れている。嫋々とした女ではなく、明朗にして開放的な性格の女性と言うべきか。句から浮かび上がるのは、とにかく元気な行商女のふるまいだが、しかし、一茶が見ているのは実は背中の赤ん坊だった。このとき、一茶は愛児サトを亡くしてから日が浅かったからである。「おつむてんてん」とやり「あばばば」とやり、一茶の子煩悩ぶりは大変なもののようだったが、サトはわずか四百日の寿命しかなかった。『おらが春』の慟哭の句「露の世は露の世ながらさりながら」は、あまりにも痛々しい。威勢のよい鰯売りの女と軽口を叩きあうこともなく、泣いている赤ん坊をじいっと眺めている一茶。おそらく彼は、女の言い値で鰯を買ったことであろう。(清水哲男)


September 2891999

 蓼紅しもののみごとに欺けば

                           藤田湘子

のような嘘をついたのか。あまりにも相手が簡単に信じてくれたので、逆に吃驚している。しかし、だから安堵したというのではない。安堵は束の間で、自責の念がふつふつとわき上がってきた。秋風にそよぐ蓼(たで)の花。ふだんは気にもとめない平凡な花の赤さが、やけに目にしみてくる。人には、嘘をつかなければならぬときがある。それは必ずしも自己の保身や利益のためにだけではなく、相手の心情を思いやってつく場合もある。この種の欺きが、いちばん辛い。たとえば会社の人事などをめぐって、よくある話だ。そして、人を欺くというとき、相手がいささかも疑念を抱かないときほど切ないことはないのである。ところで、蓼の花は、日本の自生種だけで五十種類以上もあるそうだ。俳句では、そのなかから「犬蓼(いぬたで)」だけは区別してきた。「犬蓼」の別名は「赤のまんま」「赤まんま」など。子供のままごと遊びの「赤いまんま(赤飯)」に使われたことから、この名がつけられたという。『途上』(1955)所収。(清水哲男)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます