五十代六十代の少年少女と、M・カウリー(『八十路から眺めれば』草思社)の弁。嬉々。




1999ソスN10ソスソス3ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

October 03101999

 黒塗りの昭和史があり鉦叩

                           矢島渚男

ぶん、私の解釈は間違っている。「黒塗りの昭和史」とは暗黒の歴史そのもの、ないしは黒い装釘の歴史の本か、いずれかを指すのだろう。が、私は変なことを考えた。俗に「黒塗り」といえば、高級な乗用車のことだ。皇族や政財界の大物が乗り、宗教家やヤクザの親分などが乗り回す。「黒塗り」をそのように受け取ると、表裏の社会の権力者の一つの象徴ということになる。そんな「黒塗り族」が形成した昭和史を一方に見据え、他方に、権力者にとってはあまりにもか細い「鉦叩(かねたたき)」の声を庶民の声の象徴として配置した。か細いというよりも、「黒塗り」の中からは、鉦叩の声など聞こえやしない。むろん作者は鉦叩の側にいるから、どこかでかすかにチンチンと鳴いている声が、さながら昭和史への葬送の鉦のように聞こえている……。このとき「黒塗り」は、いつの間にか霊柩車に化しているというわけだ。体長、わずかに一センチの鉦叩。「五ミリの魂」と粋がることもできないほどに、「黒塗り」の暴走ぶりは凄まじかった。『翼の上に』(1999)所収。(清水哲男)


October 02101999

 女ゐてオカズのごとき秋の暮

                           加藤郁乎

乎大人のことだから、美女と差し向いで一杯やっている図だろう。目の前の女にくらべれば、「秋の暮」なんぞはオカズみたいなものさとうそぶいている。いささかの無頼を気取った江戸前の粋な句だ。でも、句の解釈をここで止めてはいけない。「結構なご身分で……、ご馳走様」と、ここで止めてしまうのは、失礼ながら素人の読み。句の奥底には、実は痛烈な俳句批判がこめられている。すなわち、多くの俳人たちが「秋の暮」に対するときの「通俗」ぶりを嫌い、批判しているのである。そのへんの歳時記をめくってみればわかるが、通俗的な寂寥感と結びつけた「秋の暮」句のなんと多いことか。抒情の大安売り。みんな演歌の歌詞みたいで、うんざりさせられる。作者とて、もとより「秋の暮」の抒情を理解しないわけではない。が、ここは一番、俳人たちの安易な態度を批判しておく必要があると、悪戯っぽくひねってみせたのが、この句の正体である。同様の発想が生んだ句に「軽みとな煮ても焼いても秋の暮」がある。なお、「秋の暮」は秋の日暮れのことで「暮の秋(秋の終り)」ではない。『秋の暮』(1980)所収。(清水哲男)


October 01101999

 突抜ける青が好き青十月の

                           北島輝郎

球。ストレートに、十月をむかえた喜びを歌っている。爽やかな十月。今年も、そうあってほしいものだ。。さて、せっかくの爽やかな句の雰囲気に水をさすようだが、今日は一理屈こねたくなっている(えっ、いつものことだって、……すみません)。そんな気分になったのは、句の「好き」に触発されたからだ。いつの頃からか、俳句や短歌に「好き」だの「嫌い」だのという生(なま)の感情がそのまま詠まれるようになってきた。とてもひっかかる言葉遣いだ。理由は、もとより「好き」や「嫌い」は誰にでも生ずる感情だけれど、それを生で表現することの意図がわからない点にある。そうした作品を読むと、「好き」「嫌い」は作者の勝手であるが、読者である私はそう言われても困ってしまう場合が多いのだ。そこのところを、作者は読者が困らないように説得するのが「作品」であるのに、それをしていない「作品もどき」が大半である。私の常識では、この種の書き物を文学とはとても呼べない。文学以前に、作者がそうした個人的にしか通用しない生の感情を、なぜ作品として発表したいのか。他人に読んでもらいたいのか。不可解すぎて欠伸が出てしまう。社会常識もたいしたものではないことを前提にして言うのだが、こうした表現などをひっくるめて、世間は「変態」と呼んできた。ただ、私に言わせれば「変態」も結構なのだけれど、幼稚な「変態」は「嫌い」だということである。(清水哲男)




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