本日までに1412句を掲載。他人の句ばかり読みすぎて、自作ができなくなってきた。




1999ソスN10ソスソス4ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

October 04101999

 稲妻のゆたかなる夜も寝べきころ

                           中村汀女

は「ぬ」と発音する。遠くの夜空に、音もなく雷光のみが走る。稲妻(いなづま)は「稲の夫(つま)」の意で、稲妻によって稲が実るという俗説から秋の季語となった。その稲妻を「ゆたか」と受け止めている感性に、まずは驚かされる。私などは目先だけでとらえるから、とても「ゆたか」などという表現には至らない。作者は目先ではなく、いわば全身で稲妻に反応している。他の自然現象についても、そういう受け止め方をした人なのだろう。汀女句の「ふくよかさ」の秘密は、このあたりにありそうだ。昔の主婦は、格段に早起きだった。だから「寝べきころ」とは、明日の家族の生活に支障が出ないようにセットされた時間だ。このことについても、作者が全身でゆったりと受け止めている様子が、句からよく伝わってくる。その意味では「ゆたか」を除くと凡庸な作品に思えるかもしれないが、それは違う。私たちが、いま作者と同じ立場にあると仮定して、はたして句のように些細な日常を些細そのままに切り取れるだろうか。ここに隠されてあるのは、極めて犀利なテクニックが駆使された痕跡である。『汀女句集』(1944)所収。(清水哲男)


October 03101999

 黒塗りの昭和史があり鉦叩

                           矢島渚男

ぶん、私の解釈は間違っている。「黒塗りの昭和史」とは暗黒の歴史そのもの、ないしは黒い装釘の歴史の本か、いずれかを指すのだろう。が、私は変なことを考えた。俗に「黒塗り」といえば、高級な乗用車のことだ。皇族や政財界の大物が乗り、宗教家やヤクザの親分などが乗り回す。「黒塗り」をそのように受け取ると、表裏の社会の権力者の一つの象徴ということになる。そんな「黒塗り族」が形成した昭和史を一方に見据え、他方に、権力者にとってはあまりにもか細い「鉦叩(かねたたき)」の声を庶民の声の象徴として配置した。か細いというよりも、「黒塗り」の中からは、鉦叩の声など聞こえやしない。むろん作者は鉦叩の側にいるから、どこかでかすかにチンチンと鳴いている声が、さながら昭和史への葬送の鉦のように聞こえている……。このとき「黒塗り」は、いつの間にか霊柩車に化しているというわけだ。体長、わずかに一センチの鉦叩。「五ミリの魂」と粋がることもできないほどに、「黒塗り」の暴走ぶりは凄まじかった。『翼の上に』(1999)所収。(清水哲男)


October 02101999

 女ゐてオカズのごとき秋の暮

                           加藤郁乎

乎大人のことだから、美女と差し向いで一杯やっている図だろう。目の前の女にくらべれば、「秋の暮」なんぞはオカズみたいなものさとうそぶいている。いささかの無頼を気取った江戸前の粋な句だ。でも、句の解釈をここで止めてはいけない。「結構なご身分で……、ご馳走様」と、ここで止めてしまうのは、失礼ながら素人の読み。句の奥底には、実は痛烈な俳句批判がこめられている。すなわち、多くの俳人たちが「秋の暮」に対するときの「通俗」ぶりを嫌い、批判しているのである。そのへんの歳時記をめくってみればわかるが、通俗的な寂寥感と結びつけた「秋の暮」句のなんと多いことか。抒情の大安売り。みんな演歌の歌詞みたいで、うんざりさせられる。作者とて、もとより「秋の暮」の抒情を理解しないわけではない。が、ここは一番、俳人たちの安易な態度を批判しておく必要があると、悪戯っぽくひねってみせたのが、この句の正体である。同様の発想が生んだ句に「軽みとな煮ても焼いても秋の暮」がある。なお、「秋の暮」は秋の日暮れのことで「暮の秋(秋の終り)」ではない。『秋の暮』(1980)所収。(清水哲男)




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