パソコンショップには年賀状作成ソフトが山積み。見ていると追い立てられる気分になる。




1999ソスN10ソスソス12ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

October 12101999

 赤き帆とゆく秋風の袂かな

                           原 裕

書に「土浦二句」とある。もう一句は「雁渡るひかり帆綱は鋼綱」。いずれも秋の湖辺(霞ヶ浦)の爽やかさを詠んでいて、心地よい。「赤き帆」は、彼方をゆくヨットのそれだろう。秋風を受けた帆のふくらみと袂(たもと)のふくらみとを掛けて、まるで自分がヨットにでもなったような気分。上機嫌で、湖べりの道を歩いている。読者に、すっと伝染する良質な機嫌のよさだ。遠くの帆の赤が、ひときわ鮮やかだ。恥ずかしながら私の俳号は「赤帆(せきはん)」なので、この句を見つけたときは嬉しかった。二句目と合わせて読むと、秋色と秋光のまばゆい土浦(茨城)の風土が、見事に浮かび上がってくる。作者にはこの他にも「色彩」と「光線」に鋭敏な感覚を示した佳句が多く、この季節では「紫は衣桁に昏し秋の寺」などが代表的な作品だろう。この「紫色」の重厚な深みのほどには、唸らされてしまう。作者・原裕(はら・ゆたか)は原石鼎(はら・せきてい)の後継者として長く「鹿火屋」の主宰者であったが、この十月二日に亡くなられた。享年六十七歳。今日が告別式と聞く。合掌。『風土』(1990)所収。(清水哲男)


October 11101999

 門の内掛稲ありて写真撮る

                           高浜虚子

のある農家だから、豪農の部類だろう。普通の屋敷に入る感覚で門をくぐると、庭には掛稲(かけいね)があった。虚をつかれた感じ。早速、写真に撮った。それだけの句だが、作られたのが1943(昭和18)年十月ということになると、ちょっと考えてしまう。写真を撮ったのは、作者本人なのだろうか。現代であれば、そうに決まっている。が、当時のカメラの普及度は低かった。しかも、ハンディなカメラは少なかった。そのころ私の父が写真に凝っていて、我が家にはドイツ製の16ミリ・スチール写真機があったけれど、よほどの好事家でないと、そういうものは持っていなかったろう。しかも、戦争中だ。カメラはあったにしても、フィルムが手に入りにくかった。簡単に、スナップ撮影というわけにはいかない情況だ。虚子がカメラ好きだったかどうかは知らないが、この場面で写真を撮ったのは、同行の誰か、たとえば新聞記者だったりした可能性のほうが高いと思う。で、虚子は掛稲とともに写真におさまった……。すなわち「写真撮る」とは、写真に「撮られる」ことだったのであり、いまでも免許証用の「写真(を)撮る」という具合に使い、この言葉のニュアンスは生きている。「撮る」とは「撮られる」こと。自分が撮ったことを明確に表現するためには、「写真撮る」ではなく「写真に(!)撮る」と言う必要がある。ああ、ややこしい。『六百句』(1946)所収。(清水哲男)


October 10101999

 来賓の姿勢つづきぬ運動会

                           岡本高明

動会に来賓(らいひん)を呼ぶのは、何故なのか。文化祭や学芸会に来賓のいる風景は、私の通った学校では一度も目にしたことがない。ま、常識的に考えて、富国強兵策の名残りだろうとは思うけれど……。「文弱の徒」に用はないというわけだ。で、来賓なる人物はきちんとスーツを着こんでやってきて、テント席の下でお茶なんぞを啜っている(お茶汲みは女生徒の担当だ)。どんな競技が行われても、面白くもないというような顔をして、終始姿勢を崩さない。句は、そのことを言っている。運動会のテーマで、来賓に着目した句は珍しい。作者については何も知らないが、学校関係者なのだろうか。それはともかくとして、この句は必ずしも来賓への皮肉を意図したものではないだろう。ありのままを述べ、後の解釈は読者にゆだねている。すなわち「運動会」に寄り掛かって句をおさめている。まことに「俳句的な俳句」の技法が使われているところが、特徴だ。そんなによい句ではないけれど、俳句的という意味では、なかなかに達者な作品である。本日は「体育の日」。読者のなかに来賓で呼ばれている方がおられましたら、運動場でこの句を思い出していただきたい。なるほど「姿勢つづきぬ」だなあと苦笑されることだけは、請け合いますので。「俳句文芸」(1999年10月号)所載。(清水哲男)




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