仙台へ。でも、ネットでは「行ってきます」は変ですね。宇宙旅行ならば似合いますが。




1999ソスN10ソスソス16ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

October 16101999

 じゅず玉は今も星色農馬絶ゆ

                           北原志満子

ゅず玉(数珠玉)と農馬(農耕馬)が結びつくのは、この草が水辺に自生する植物だからである。「馬洗ふ」という夏の季語もあるように、農耕に疲れた馬を川や湖で洗って疲労を回復させてやるのが、夕暮れ時の農家の日課であった。馬の行水だ。そんな光景のなかでは、いつも数珠玉が群生して揺れていた。なのに現在では農作業の機械化がいちじるしく進み、もはや農耕馬が存在したことすらも忘れられかけている。一方の数珠玉はといえば、昔と変らず秋風に揺れているというのに……。「星色」とは、数珠玉の実が緑色から灰白色(ないしは黒色)に変わっていく途中の色を指したのだろう。少年時代、私の村にも十数頭の農馬がいた。だから、行水の光景にも親しかったし、作者の思いもよくわかる。で、秋の農繁期が終わると、これらの馬を集めて競馬が行われた。文字どおりの「草競馬」だった。日頃激しい労働はしていても、走るトレーニングなどしたこともない馬たちのレースは、子供心にもなんだか哀れに思えたものだ。馬力はあっても、脚が出ないのだ。句を読んで、ふとそんなことも思い出してしまった。ちょっぴり泣けてきた。『北原志満子』(1996・花神現代俳句シリーズ)所収。(清水哲男)


October 15101999

 手でひねり点け手でひねり消す秋灯

                           京極杞陽

灯は「あきともし」と読ませる。そういえば、以前の電燈のスイッチは電球の真上についていた。いまでは部屋の片隅に取り付けてあるスイッチを押すか、ぶら下がっている紐を引っ張って点灯する様式のものが普通だ。いちいち電球の上に手を伸ばして「ひねり点け」るのが面倒なので、改良されたというわけである。作句年代を調べたら、1976年(昭和51年)とあった。そんなに昔のことでもない。それにしても、妙なことに感心する人もいたものだ。……と思うのは間違いで、この様式のスイッチだからこそ「秋灯」と結びつく句になったのである。そぞろ寒さが感じられる秋の夜に、電燈のぬくもりは心地よい。このスイッチでないと、秋灯の温度が体感できないということである。今様のスイッチは電燈から遠く離れていて、もはやこの情趣とは無縁になってしまった。道具ひとつの盛衰が私たちの情感に影響していると考えると、空恐ろしくなってくる。あと半世紀もたたないうちに、この句は図解でもしないと理解不能になるだろう。『さめぬなり』(1982)所収。(清水哲男)


October 14101999

 ものかげに煙草吸ふ子よ昼の虫

                           鈴木しづ子

とえば「娼婦またよきか熟れたる柿食うぶ」などと奔放に書いた作者の、もう一つの顔はこのようであった。人にかくれて煙草を吸う少年、あるいは少女。チッチッと弱々しげな昼の虫の音が「ものかげ」から聞こえてくる。めったに姿を見せない鉦叩(かねたたき)の類だろうか。作者によって「子」と「虫」がこのように切り取られたとき、その相似性が語るものは、生きとし生けるものなべての哀れさであろう。ただし注目すべきは、作者がどこかでこの「哀れ」を楽しんでいる気配のうかがえるところだ。自虐の深さまでには至っていないが、この気分が昂揚すると娼婦句の世界へとつながっていくのだと思われる。『女流俳句集成』(1999・立風書房)の年譜によれば、鈴木しづ子は1919年(大正8年)東京神田生まれ、東京淑徳高等女学校卒。松村巨愀の主宰誌「樹海」に出句し、戦後間もなくは各務原市に住んで二冊の句集を出版したが、その後はぷつりと消息を断ってしまった。現在に至るも、生死不明という。第一句集『春雷』(1946)所収。(清水哲男)




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