「抒情文芸」投稿詩選評。原稿用紙に手書きが九割。読みにくい反面、ほっと息もつける。




1999ソスN10ソスソス24ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

October 24101999

 日本シリーズ釣瓶落しにつき変はり

                           ねじめ正也

の親にして、この子あり。この子とは、熱烈な長嶋ジャイアンツ贔屓のねじめ正一君。お父上も、相当な野球狂だったらしい。「渾身の投球を子に木々芽吹く」。こうやって、子供を野球選手に仕立て上げたかったようで、実際、正一君を高校に野球入学させたところまではうまくいった。日大二高だったか、三高だったか。句であるが、息つくひまもないほどに「つき」が変わる熱戦を詠んでいる。が、「釣瓶(つるべ)落し」の比喩はいささか気になる。日本シリーズは秋に行われるので、「秋の落日は釣瓶落し」からの引用はわかるけれど、これだと時間経過の垂直性のみが強調される恨みが残る。野球というゲームの空間的な水平性が、置き去りにされてしまっている。たしかに「つき」の交代は時間の流れのなかで明らかになるわけだが、「つき」の変化が認められる根拠には水平性がなければならない。もっと言えば、時間が経過するから「つき」が変わるのではなく、空間が歪んだりするので「つき」も変わるのだ。でも、こんな理屈はともかくとして、句の「どきどき感覚」は捨てがたい。ちなみに、作句年は1990年(平成二年)。日本シリーズで、藤田ジャイアンツが森ライオンズにストレート負けした年である。『蠅取りリボン』(1991)所収。(清水哲男)


October 23101999

 秋風や射的屋で撃つキューピッド

                           大木あまり

に「秋風が吹く」というと、「秋」を「飽き」にかけて、男女の愛情が冷める意味に用いたりする。句は、そこを踏まえている。ご存じキューピッドは、ローマ神話に出てくる恋愛の神(ちなみに、ギリシャ神話では「エロス」)。ビーナスの子供で、翼のある少年だ。この少年の金の矢を心臓に受けた者は、たちまち恋に陥るという。そのキューピッドが、それこそ仕事に「飽き」ちゃったのか、こともあろうに日本の射的屋で金の矢ならぬコルクの弾丸を撃っている。ターゲットは煙草や人形の類いだから、いくら命中しても恋などは生まれっこない。いかにも所在なげな少年の表情が見えるようだ。秋風の吹くなかのうそ寒い光景であると同時に、作者自身に関わることかどうかは知らねども、背景には愛情の冷めた男女の関係が暗示されているようだ。そぞろ身にしむ秋の風。おそらくは、実景だろう。まさか翼があるわけもないが、作者は射的屋で鉄砲を撃つ外国の美少年を目撃して、とっさにキューピッドを連想したに違いない。このように「秋風」を配した句は珍しいので、みなさんにお裾分けしておきたい。『雲の塔』(1993)所収。(清水哲男)


October 22101999

 落栗をよべ栗の木を今朝見たり

                           後藤夜半

くあることだが、この句の前でも立ち往生してしまった。さあ、わからない。三十分ほど考えたところで出かける時間となり、バスのなかで反芻し、仕事場に着いてからも頭に引っ掛かったままだった。原因は、最初に「よべ」を「呼べ」と思い込んでしまったところにある。どうも「呼べ」ではないらしいと思い直したのは、放送中だった(こういうことも、よくあります)。スタジオから出て来て、「よべ」「よべ」と二三度となえているうちに、パッと「昨夜」を「よべ」と読むことに気がついた(これまた、よくあること)。なあんだ。で、後は簡単。作者は、旅先にあるのだろう。昨夜、道ばたで落栗を見かけ、「おや、こんなところに、なぜ栗が」と思っていたのだが、今朝明るくなって見てみると、そこにはちゃんと栗の木があったよ。……というわけだ。考えてみれば、作者もこの句を得るのに夜から朝まで、半日という時間をかけている。読者の私も、理解するのにほぼ半日を費やした。おあいこだ。と言うのも、なんか変だけど。『彩色』(1968)所収。(清水哲男)




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