October 281999
殺される女口あけ菊人形
木村杢来
芝居の一場面を菊人形に仕立ててあるわけだが、殺される女の口が開きっぱなしなのが、ひどく気になったというのである。凄絶なシーンのはずが、開いた口のせいで痴呆的にすら感じられる……。そこが、人形的なあまりに人形的な切なさではある。漱石の『三四郎』に団子坂(東京千駄木)の菊人形が出てくる。「どんちゃんどんちゃん遠くから囃している」とあり、明治末期の菊人形は秋最大級の見せ物として人気があったようだ。私に言わせれば、菊と人形の組み合わせなどゲテモノにしか見えないけれど、ゲテモノは見せ物の基本だから、あって悪いとは思わないが好きではない。渡辺水巴などは、真面目につきあって「菊人形たましひのなき匂かな」と詠んでいる。そういう気にもなれない。どうせ詠むのなら、大串章のように「白砂に菊人形の首を置く」と、楽屋を詠むほうが面白い。ドキリとさせられる。私とは違って、大串章は菊人形に好意をもっての作句だろうが、このシーンを描くことで見せ物の本質はおのずから描破されている。先日、菊作りの専門家に聞いたら、今年は中秋までの暑さがたたって仕上がりが遅いそうだ。菊人形展や菊花展の関係者は、さぞや気をもんでいることだろう。(清水哲男)
November 132001
菊人形問答もなく崩さるる
藤田湘子
季語は「菊人形」で秋。漱石の『三四郎』に本郷団子坂での興業の賑わいぶりが登場する。明治末期の話だが、この時期の娯楽としては相当に人気が高かったようだ。さて、掲句は現代の作。菊師(きくし)入魂の作品である人形も、興業が果てて取りかたづけられる段になると、かくのごとくに「問答無用」と崩されていく。丹精込める菊師の人形作りには「問答」があるけれど、始末する作業者にはそれがない。ないから、むしろ小気味よい感じで「崩さるる」のだ。このときの作者には、せっかくの人形を乱暴に崩すなんてなどという感傷はないだろう。見る間に崩されていく場景を、むしろ無感動に近い気持ちで見つめている。仮に哀れの念がわくとしても、それはこの場を去ってからのことにちがいない。あまりにも見事な崩しぶりに、感じ入っているだけなのだ。ひどく乾いた抒情が、句から伝わってくる。ところで、小沢信男に「凶の籤菊人形の御袖に」がある。「凶」だとはいえ、そこらへんに捨ててしまうわけにもいかず、持ち歩いていた御神籤(おみくじ)の札を、そっと「菊人形の御袖に」しのばせたというのである。なかなかに、洒落れた捨て所ではないか。で、展示が終了したときに、この人形をどさどさっと手際よく作業者が崩しにかかると、なにやら白い紙がひらひらっと舞い上がり、男の額にぺたりと張り付いた。なんだろうと、男が紙を開いてみる。……。「へい、おあとがよろしいようで」。『去来の花』(1986)所収。(清水哲男)
September 262007
大花野お尋ね者の潜むなり
三沢浩二
秋の草花が咲き乱れている広大な野である。いちめんの草花に埋もれるようにしてお尋ね者が潜んでいるという、ただそれだけのことだが、この「お尋ね者」を潜ませたところに作者の手柄がある。今はあまり聞かない言葉だけれど、読者はその言葉に否応なくとらえられてしまう。昔も今も世を憚るお尋ね者はいるのだ。さて、いかなるお尋ね者なのかと想像力をかきたてられる。そのへんの暗がりや物陰に潜む徒輩とちがって、大花野が舞台なのだから大物で、もしかして風流を解する徒輩なのかもしれない。そう妄想するとちょっと愉快になるけれど、なあに小物が切羽詰って逃げこんだとする解釈も成り立つ。草花が咲き乱れている花野はただ美しいだけでなく、どこかしら怪しさも秘めているようでもある。浩二は岡山県を代表する詩人の一人だった。「お尋ね者」に「詩人」という“徒輩”をダブらせる気持ちも、どこかしらあったのかもしれない――と妄想するのは失礼だろうか。年譜によると、浩二は昨年七十五歳で亡くなるまでの晩年十年間ほど俳句も作り、俳誌で選者もつとめた。追悼誌には自選238句が収録されている。掲出句の次に「悪人来菊人形よ逃げなさい」という自在な句もならぶ。橋本美代子には「神隠るごとく花野に母がゐる」の句がある。この「母」は多佳子であろう。花野には「お尋ね者」も「母」も潜む。「追悼 詩人三沢浩二」(2007)所載。(八木忠栄)
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