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November 01111999

 隅占めてうどんの箸を割損ず

                           林田紀音夫

阪は下村槐太門の逸材と喧伝された作者は、なによりも「叮嚀でひかえめでものしづか」(島津亮)な人だったという。そういう人柄だから、数人でうどん屋に入っても、必ず隅の席にすわりたい。人と人に挟まれてうどんを食べるなどは、どうにも居心地がよろしくないのである。でも、いつも隅の席を占められるとは限らない。酒席の流れだろうか。今宵は無事に隅にすわれた。やれやれと安堵し、そこまではよかったのだが、運ばれてきたうどんを食べようという段になって、割り箸が妙な形に割れてしまった。折れたのかもしれないが、とにかく、これでは食べられないという状態になった。そこで「ひかえめでものしづか」な人は、大いにうろたえることになる。店員に声をかけようとしても、忙しく立ち働く彼らを見ていると、なんだか気後れがする。でも、思いきって声をかけてみたが、相手には聞こえないようだ。しかし、何とかしなければ、せっかくのアツアツうどんがのびてしまうではないか。周りの連中は、彼の困惑に気がつかず、うまそうに食べている。当人が真剣であればあるほど、滑稽の度は増してくる。そのあたりの人情の機微を巧みにとらえた作品だ。無季の句ではあるが、だんだん寒くなるこの季節に似合っている。(清水哲男)


March 0632005

 黄の青の赤の雨傘誰から死ぬ

                           林田紀音夫

季句。人は死ぬ、誰でもいつかは。が、私たちの多くは普段そのことを強く意識して暮らしているわけではない。たまに何かのきっかけがあって、ふっと意識させられることだ。意識させられて、この免れ難い宿命に悲観したり暗澹としたり、あるいは逆に死の万人平等性に安堵したりするなど、そのときその人にとっての反応はさまざまだ。作者のきっかけは、雨の道でだった。読者諸兄姉は、どんな情景を思い浮かべるでしょうか。キーは「黄の青の赤の雨傘」。これを、他に黒もあれば茶もあるというふうに色とりどりの傘と読むか、あるいはこの三色の傘に限定して読むかによって、解釈は異なってくる。私は後者と読んで、傘をさしているのは小学生くらいの女の子だと想像した。色とりどりだと、老若男女すべてが含まれてしまい、ポエジーに鋭さが欠けてしまう。おおかたは歳の順番さ、みたいな答えを出されてもつまらない。雨の道で前を行く三人の女の子、まだこれからたっぷりの時間が残されている幼い三つの命。傘の色が違うように、これからそれぞれの人生も違っていくわけだが、しかし終局的には死の一点において行きつく先は同じである。ただ、お互いの死が早いか遅いかの違いは確実にある。その違いに着目したとき、作者は言い知れぬ人間存在の寂しさを感じたのだ。そんな作者の思いなどもちろん知るはずもなく、元気に屈託なく歩いてゆくちっちゃな三人の女の子……。現代俳句協会編『現代俳句歳時記・無季』(2004)所載。(清水哲男)


October 23102006

 鉛筆の遺書ならば忘れ易からむ

                           林田紀音夫

季句。難解な作品の多い紀音夫句のなかでは、比較的わかりやすい一句だ。この句が有名になったのは、むろん「鉛筆の遺書」の思いつきで、世間の抱く漠然たる遺書への固定観念をくつがえしてみせたからである。遺書を筆で書くか、せめて万年筆で書くか。世の中ではなんとなくそう思われているようだし、作者もそう思っていたのだが、いざ自分を書く身に置いてみたら、どうもいつまでも残りそうな墨痕淋漓の書き物などと自分の思いとはつり合わない。少しだけ書き残したいことはあるのだけれど、かといってそれは子々孫々にまで伝えたいというほどのことじゃない。加えて、自分のような存在は、死んだらすぐにも忘れて欲しいという気持ちがある。そこで「鉛筆」書き「ならば」という仮定が生まれたというわけだが、いまこれを書いている私の目の前には、先日亡くなった松本哉からの葉書が貼ってある。二十年近くも前のもので、彼の絵に短い文章が添えられた「絵葉書」だ。気に入って貼ってあったのだが、先日葬儀から戻ってしみじみと見てみようとしたところ、絵はかすれ気味ながら残っているのに、文字はすべて消え去っていることに気がついた。毎日漫然と見ていたので、迂闊なことにいつごろ完全に消えたのかは定かではないけれど、その文字はまさに「鉛筆」で書かれていたのは記憶している。林田紀音夫の予測通りに、鉛筆の字は消えてしまうのである。超微細な砂粒と化して、時々刻々とそれらの文字たちはおのれを削り落としていたのだ。そんなわけで鉛筆書きの文字の実際の消滅を前にして、ふっと揚句を思い出し、その発想の奇ならざることを思うと同時に、作句時の作者の一種暗い得意の気分もしのばれたのであった。『林田紀音夫全句集』(2006)所収。(清水哲男)


July 1372012

 河尽きる灯のあるところ夜具のべられ

                           林田紀音夫

ームレスの人の様子に見える。河尽きるは海辺ということだろう。考えてみれば日本の都市のほとんどは海辺にある。海に囲まれた国ですからね。このごろ話題の生活保護費の不正受給の人なんかよりホームレスの人はどこか誠実に思える。そもそも住所不定では生活保護も受けられない。少し前だったか、新入社員研修で路上で何日か寝起きすることを課した会社があった。人の足元からの目線が営業においては大切だというような理屈だったような。俳人も路上吟行と称して人間と情況のウオッチングなんかも現在に深く切り込めるかもしれない。「俳句界」(2008年6月号)所載。(今井 聖)


March 0232014

 雛の間の無人の明るさの真昼

                           林田紀音夫

もいない雛の間の真昼。赤い雛壇に、白い顔の殿方と姫君が座っています。笛や太鼓や箏などの楽器と、黒い漆塗りの器が細やかに配置されていると、静寂の中に華やぎがあります。真昼の雛の間には、作者と人形たち以外は誰もいない。その明るさを詠まれる雛たちは幸せです。掲句は、昭和63年、作者64歳の作。しかし、昭和49年に上梓された第二句集『幻燈』を読むと、つねに亡き人の存在が見え隠れしていた苦悩を辿ることができます。「風の流れにつねにひらたく遺体あり」「海のまぶしさ白骨の人立ちあがり」「水平線藍濃く還れない戦死者」(これは、「愛国」を掛けているのか?)「抽斗(ひきだし)いっぱいの遺影軒には鳩ねむり」。みずからも昭和20年の春、最後の現役兵として入営した記憶を忘れることができません。例句もふくめて、この頃までの句作の多くが無季破格です。戦争の記憶には、有季定型には納まりきらない不条理があると推察します。しかし、それから歳月を経て掲句では、平明の境地を獲得しています。「雛の灯を消してひとりの夜に戻す」も。『林田紀音夫全句集』(2006)所収。(小笠原高志)


May 0352015

 ピアノは音のくらがり髪に星を沈め

                           林田紀音夫

髪のピアニストが、音の光を奏でています。十指で鍵盤を叩くと、それは88本の弦に響き、流線型の黒い木箱が共鳴するとき、音は深く混ざり合う。単純ではないその音色に、人は喜びや楽しさに加えて、切なさや鈍痛をも耳にします。「音のくらがり」のないところに、「星」をみることはできません。ロマン・ポランスキー監督作品に、「戦場のピアニスト」という映画がありました。ポーランドの国民的作曲家であったユダヤ人のシュピルマンは、第二次世界大戦のさなか弾圧と逃亡の日々を過ご しますが、隠れ家でひそかにピアノを弾いていたところをドイツの将校に見つかります。しかし、その音色が美しかったので、連行されずに生き延びます。当時、ワルシャワには30万人のユダヤ人がいた中で、生き残れたのは22人。シュピルマンは、その一人です。聞いたところによると、シュピルマンの息子は、日本人女性と結婚して、現在、日本の大学で日本の政治を研究しているそうです。今日は憲法記念日です。憲法が国家の倫理なら、それは積極的なアクセルを踏もうとする合理主義にブレーキをかけるはたらきでしょう。国家という乗り物に必要な装置は、アクセルではなくまず第一にブレーキです。倫理とは、いいことをする正義ではなく、いいことをしようとする積極的な正義に対して待ったをかける 落ち着いたおとなしさです。日本の憲法は、人類の歴史で初めて、大人の落ち着きを成文化しました。憲法記念日の今日、砲弾ではなく、ピアノの音が永続できる日であることを願います。『林田紀音夫全句集』(2006)所収。(小笠原高志)




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