BSで『上を向いて歩こう』。ジャズと愚連隊と働く少年少女と勉学と。ケナゲだった日本。




1999ソスN11ソスソス2ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

November 02111999

 栗剥くは上手所帯は崩しても

                           小沢信男

の剥(む)き方は、あれでなかなか難しい。剥いているのは女性だろう。それも、小さな飲屋の「おかみ」というところか。客の前で生の栗を剥くはずはないから、茹でた栗か焼き栗かを、実に器用に剥いている。剥きながら、問わず語りに過去の不幸を語っているのかもしれない。栗を上手に剥くことと所帯をうまくやっていくことの間には、さしたる関係もないのであるが、作者はいささかの好意をもっている女性だけに、その関係を濃いものとしてとらえている。こんなに器用なのだから家事全般については、何の落ち度もなかったろうに……。人生はうまくいかないものだなア、と。このとき「所帯は崩しても」に皮肉の意図はなく、哀感を強調するための用語法である。大きな「所帯」と小さな「栗」との対比が利いている。彼女が所帯を崩すには、もとよりそれなりの事情があったのだろうが、そこまでを直接尋ねるわけにはいかない。たいていの身の上話は、どこかに曖昧な要素を残しながら終わってしまうものだ。それでいいのである。小津映画の一シーンのような句だとも思った。『足の裏』(1998)所収。(清水哲男)


November 01111999

 隅占めてうどんの箸を割損ず

                           林田紀音夫

阪は下村槐太門の逸材と喧伝された作者は、なによりも「叮嚀でひかえめでものしづか」(島津亮)な人だったという。そういう人柄だから、数人でうどん屋に入っても、必ず隅の席にすわりたい。人と人に挟まれてうどんを食べるなどは、どうにも居心地がよろしくないのである。でも、いつも隅の席を占められるとは限らない。酒席の流れだろうか。今宵は無事に隅にすわれた。やれやれと安堵し、そこまではよかったのだが、運ばれてきたうどんを食べようという段になって、割り箸が妙な形に割れてしまった。折れたのかもしれないが、とにかく、これでは食べられないという状態になった。そこで「ひかえめでものしづか」な人は、大いにうろたえることになる。店員に声をかけようとしても、忙しく立ち働く彼らを見ていると、なんだか気後れがする。でも、思いきって声をかけてみたが、相手には聞こえないようだ。しかし、何とかしなければ、せっかくのアツアツうどんがのびてしまうではないか。周りの連中は、彼の困惑に気がつかず、うまそうに食べている。当人が真剣であればあるほど、滑稽の度は増してくる。そのあたりの人情の機微を巧みにとらえた作品だ。無季の句ではあるが、だんだん寒くなるこの季節に似合っている。(清水哲男)


October 31101999

 日あたりや熟柿の如き心地あり

                           夏目漱石

惑などという年令は、とっくのとうに過ぎてしまったのに、いまだに惑ってばかりいる。句のような心地には、ならない。いや、ついになれないだろうと言うべきか。このとき、漱石は弱冠二十九歳。あたたかい日のなかの熟柿は美しく充実して、やがて枝を離れて落下する自分を予知しているようだ。焦るでもなく慌てるでもなく、自然の摂理に身をまかせている。そんな心地に、まだ若い男がなったというのだから、私には驚きである。ここでは、みずからの充実の果ての死が、これ以上ないほどに、おだやかに予感されている。人生五十年時代の二十九歳とは、こんなにも大人だったのか。「それに比べて、いまどきの若い者は……」と野暮を言う資格など、私にはない。西暦2000年まであと二ヶ月。一年少々で、二十世紀もおしまいだ。「二十一世紀まで生きられるかなあ。無理だろうなあ」。小学生のころ、友だちと話したことを、いまさらのように思い出す。切実に死を思ったのは小学生と中学生時代だけで、以後は生きることばかりにあくせくしてきたようである。『漱石俳句集』(岩波文庫・1990)所収。(清水哲男)




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