今月中に忘年会が二回。吉祥寺では、恥ずかしそうにクリスマス・セールをはじめた店も。




1999ソスN11ソスソス5ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

November 05111999

 何やらがもげて悲しき熊手かな

                           高浜虚子

日は十一月最初の酉(とり)の日で、一の酉。十一月の酉の日は、鳳(大鳥)神社を中心とした祭礼日だ。江戸中期からはじまった富貴開運のお祭りで、台東区千束の鳳神社をはじめ、各神社が大勢の人出でにぎわう。したがって、東京以外の方には馴染みがないだろう。私も、京都にいた頃は知らなかった。大阪でいえば、十日戎といったところか。境内には市が立ち、熊手、おかめの面、入り船、黄金餅などの縁起物が売られる。「熊手」は熊の手を模した福徳をかきあつめる意味の竹製のもので、小さなおかめの面や大判小判、酒桝やら七福神やらがごちゃごちゃと取り付けられており、私のようなごちゃごちゃ好きな人間にとっては、見ているだけで楽しい。虚子は、そのごちゃごちゃの何かが「もげて」しまったと言っている。一瞬もげたのはわかったのだが、なにせ押すな押すなの人込みの中だ。拾うこともかなわず、ごちゃごちゃのなかの何がもげたのかもわからない。とにかく、とても損をしたような気分になったのだ。面白い着眼であり、大の男の悲しい気持ちもよくわかる。ちなみに今年は三の酉まであって、三の酉まである年は火事が多いと言い伝えられてきた。御用心。(清水哲男)


November 04111999

 秋のくれ大政通るその肩幅

                           入江亮太郎

書に「文久生れの祖母云、大政さんといふ人はなう肩はばの広い人でなう」とある。「大政(おおまさ)さん」とは実在の人物。清水次郎長一家二十八人衆のうちの一の子分で、怪力無双の槍の使い手であった。広沢虎造の浪曲に「清水港は鬼より恐い、大政小政の声がする」とうたわれている。昔の駿河の人はみな、次郎長はもとより主だった子分にいたるまでを、彼女のように必ず「さん」づけで呼んでいたという。決して、呼び捨てにはしなかった。人気のほどがうかがえるが、それも単なる博打うちを脱した次郎長晩年の社会的功績によるものだろう。清水姓の私は、子供の頃から次郎長一家が好きだった。といっても浪曲や映画の世界のなかでの贔屓であるが、森の石松が都鳥三兄弟に騙し討ちにされるシーンなど、涙無しには見ていられなかった。だから、作者のおばあさんのように実際の大政を見たことがあるというだけで、その人を尊敬してしまう。そうか、肩幅の広い人だったのか。でも、背は高くなかったろうな。高ければ、彼女はまずそのことを言ったはずだから……。句はそっちのけで、そんな大政の姿を想像してしまった。大政の墓は清水市の梅蔭寺(ばいいんじ)にあり、親分の次郎長を守るようにして小政らと眠っている。『入江亮太郎・小裕句集』(1997)所収。(清水哲男)


November 03111999

 酒さめて去る紅葉谷一列に

                           島 将五

葉狩りのシーズンだ。今日あたりも、出かける人が多いだろう。ただし、行楽に出かけていくのはよい気分だけれど、帰りがこうなるので、酒飲みは困る。明るい日ざしのなかで紅葉を愛でながら、仕事を忘れ時間を忘れて飲む酒は、たしかにうまい。でも、そのうちに日が西に傾いてきて、幹事役が「そろそろ下りないと暗くなってしまうぞ、なにしろ秋の日は釣瓶落しだからな」などとみんなをうながし、しぶしぶ腰を上げることになる。そんな頃には、もうだいぶ気温も下がってきて、せっかくの酒もすぐにさめてしまう。後は、谷あいの細道を吹く秋風が身にしみるだけ。「一列に」という表現が、酒飲みのじくじたる心持ちをよく告げている。あと、どのくらい歩けばよいのだろう。そんなことばかりを思ってしまう。とにかく、いつだって帰り道とは遠いものである。みなさん、御苦労なこってすなア。……と、これは今日も仕事でどこにも出かけられない私の負け惜しみ(笑)だ。『萍水』(1981)所収。(清水哲男)




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