蟇コ逕ー蟇蠖ヲ縺ョ句

November 13111999

 藁屋根に鶏鳴く柿の落葉かな

                           寺田寅彦

者は物理学者、随筆家。漱石『三四郎』の登場人物・野々宮宗八のモデルとしても有名だ。さすがに科学者らしく、寅彦の句作姿勢は理論的であった。すなわち「俳句はカッテングの芸術であり、モンタージュの芸術である」と。森羅万象のなかから何を如何に切り取り、それを十七文字のなかに如何に巧みに配置するのか。そういう方法で成立する「芸術」だと言っている。俳句はロシアの映画監督・エイゼンシュテイン(『戦艦ポチョムキン』など)の映像技術に影響を与えたが、寅彦の理論とぴったり符合する。見られる句と同じように、他の寅彦作品でも、心情や感情を生で吐露したものはない。徹底的に「カッテング」と「モンタージュ」を繰り返しながら、自分なりの小宇宙を作り上げようとした。掲句も、きわめて映像的な趣を持っている。「鶏鳴」と「柿落葉」の取り合わせ。モンタージュ的にはいささか付き過ぎの感もあるけれど、往時の光景はよく見えてくる。ちなみに、作句は1900年の晩秋だ。前世紀末のこの国の日常的な光景のスナップである。とくに草深い田舎の光景ということではないだろう。『寺田寅彦全集』(1961・岩波書店)所収。(清水哲男)


February 2322001

 煙草屋の娘うつくしき柳かな

                           寺田寅彦

いした句ではないけれど、たまには肩の凝らない句もいいものだ。「うつくしき」は「娘」と「柳」両方にかけてある(くらいは、誰にでもわかるけど)。この娘さん、きっと柳腰の美人だったのだろう。その昔の流行歌に「♪向こう横丁の煙草屋の可愛い看板娘……」とあるように、なぜか(失礼)煙草屋の娘には美人が多かった。というよりも、実際はなかなか若い娘と口を聞く機会がなかった時代だから、客としておおっぴらに話のできた煙草屋の娘がモテたと見るべきだろう(またまた失礼)。芽吹いてきた柳は、うっとりするほど美しい。したがって、春の季語となった。かの寺田寅彦センセイから、揚句の娘さんは柳と同じように「うつくしき」と詠んでもらったわけで、曰く「もって瞑すべし」とはこのことだ。それがいまや、煙草屋から看板娘が消えたのもとっくのとうの昔のことで、さらには煙草屋の数も激減してしまい、自動販売機が不愉快そうにぼそっと突っ立っているばかり。とくれば、世に禁煙者が増殖しつづけているのも当たり前の成り行きか。ところで一方の柳だが、さすがに美しさを愛でた句は多いのだけれど、なかには其角のように「曲れるをまげてまがらぬ柳かな」と、その性に強情を見る「へそ曲がり」もいた。極め付けは、サトウ・ハチローの親父さんである作家・佐藤紅緑が詠んだ「首縊る枝振もなき柳かな」かな。でも、こんなに言われても、柳は上品だからして「だから、なんだってんだよオ」などと、そんな下卑た口はきかないのである。柳に風と受け流すだけ。(清水哲男)


December 20122006

 徒に凍る硯の水悲し

                           寺田寅彦

田寅彦については、今さら触れる必要はあるまい。物理学者であり、漱石門下ですぐれた随筆もたくさん残した。筆名・吉村冬彦。二十歳の頃には俳句を漱石に見てもらい、「ホトトギス」にも発表していた。俳号は藪柑子とも牛頓(ニュートン)とも。さて、一般的には、現在の私たちの書斎から硯の姿はなくなってしまったと言っていいだろう。あっても机の抽斗かどこかで埃にまみれ、「水悲し」どころか干あがって「硯の干物」と化しているにちがいない。私などはたまに気がふれたように筆を持ちたくなっても、筆ペンなどという便利で野蛮なシロモノに手をのばして加勢を乞うている始末。「硯の水悲し」ではなく「硯の干物悲し」のていたらくである。その昔、硯の水にしてみればまさか「徒に」凍っているつもりではあるまいが、冬場ちょっとうっかりしていると机の上の硯に残された水は凍ってしまったり、凍らないまでもうっすらと埃が浮いたりしてしまったものだ。それほど当時の部屋は寒かった。せいぜい脇に火鉢を置いて手をかざす程度。いくら寺田先生だって、まさか筆で物理学の研究をしていたわけではあるまい。手紙をしたためたりしたのだろう。だとすれば、忙しさにかまけてご無沙汰してしまって・・・・とまで、この一句から推察できる。この「悲し」はむしろ「あわれ」の意味合いが強く、悲惨というよりも滑稽味をむしろ読みとるべきだろう。一句から先生の寒々とした部屋や日常までが見えてくるようだ。たとえば同じ「凍る」でも、別の句「孤児の枕並べて夢凍る」などからは悲惨さが重く伝わってくる。1935年に発表した「俳句の精神」という俳句論のなかで、寅彦は「俳句の亡びないかぎり日本は亡びない」と結語している。71年後の今日、俳句と日本は果して如何? 『俳句と地球物理』(1997)所収。(八木忠栄)


November 14112007

 柿ひとつ空の遠きに堪へむとす

                           石坂洋次郎

多分にもれず、私も高校時代に「青い山脈」を読んだ。あまりにも健康感あふれる世界だったことに、むしろくすぐったいような戸惑いを覚えた記憶がある。今の若者は「青い山脈」も石坂洋次郎の名前も知らないだろう。秋も終わりの頃だろうか、柿がひとつ枝にぽつりととり残されている。秋の空はどこまでも高く澄みきっている。それを高さではなく「空の遠き」と距離でとらえてみせた。柿がひとつだけがんばって、遠い空に堪えるがごとくとり残されているという風景である。とり残された柿の実にしてみれば、悠々として高見からあたりを睥睨しているわけではなく、むしろ孤独感に襲われているような心細さのほうが強いのだろう。しかも暮れてゆく秋は寒さが一段と厳しくなっている。その柿はまた、売れっ子だった洋次郎にとってみれば、文壇にあって、ときに何やら孤独感に襲われるわが身を、空中の柿の実に重ねていたようにも考えられる。よく聞く話だが、柿をひとつ残らず収穫してしまうのではなく、二、三個枝に残したままにする。残したそれらは鳥たちが食べる分としてつつかせてやる――そんなやさしい心遣いをする人もあるという。近年は鈴なりの柿も、ハシハシと食べる者がいなくなって、熟柿となって一つ二つと落ちてしまう。田舎でも、そんなことになっているようだ。ところで、寺田寅彦にかかると「柿渋しあはうと鳴いて鴉去る」ということになる。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)


November 19112008

 哲学も科学も寒き嚔哉

                           寺田寅彦

(くさめ)とは、さても厄介な漢字である。この漢字をさらりと書いてのける人は果たして何人いらっしゃるか? くさめ、くしゃみ、くっさめ、はくしゃみ・・・・いろいろな呼び方があって、思わずくさめをしたくなるようなにぎやかさである。嚏は通常、冷気が鼻の粘膜を刺激することで出るわけだが、それだけではなくアレルギー性の嚏もある。しかし、咳とちがって悲壮感とかやりきれなさはない。それはさておき、寅彦はご存知のように地球物理学者にして文学者。筆名は吉村冬彦。掲出句で「文学も科学も・・・・」としなかったのは、今さら「文学がお寒い」と詠ったところで始まらない、という気持ちがあったのか、と愚考するが、いかがなものか。「寒き嚏」ではなくて「寒き」で切れる、と解釈することもできそうだけれど、その場合、すっきり切ろうとするならば「寒し」だろう。ここでは哲学や科学を、嚏と同等なものと茶化したとらえ方をしているのだろう。「寒き嚏」とはくどいとか何とか、決まってとやこう云々する人もいるだろうが、そのあたりのことは十分承知したうえで、寅彦はこう言い切ったのではないか。哲学が寒いのも、科学が寒いのも、季候の次元の問題などではない。ノーベル科学賞受賞者が日本で今年四人も出たことを知ったら、寅彦は掲出句を修正しただろうか? 寅彦は第五高等学校時代(熊本)に、俳句を見てもらいに漱石先生を頻繁に訪ね、「ホトトギス」に掲載された。蛇足だが、寅彦一家を題材にしたマキノノゾミの芝居「フユヒコ」は大傑作。『俳句と地球物理』(1977)所収。(八木忠栄)


July 1572009

 炎天や裏町通る薬売

                           寺田寅彦

句に限らない、「炎天」という文字を目にしただけでも、暑さが苦手な人はたちまち顔を歪めてしまうだろう。梅雨が明けてからの本格的な夏の、あのカンカン照りはたまったものではない。商売とはいえ暑さに負けじと行商してあるく薬売りも、さすがに炎天では、自然に足が日当りの少ない裏町のほうへ向いてしまう。そこには涼しい風が、日陰をぬって多少なりとも走っているかもしれないが、商売に適した道筋ではあるまい。炎天下では商売も二の次ぎにならざるを得ないか。寅彦らしい着眼である。行商してあるく薬売りは、江戸の中期から始まったと言われている。私などが子どものころに経験したのは、家庭に薬箱ごと預けておいて年に一回か二回やってくる富山の薬売りだった。子どもには薬よりも、おみやげにくれる紙風船のほうが楽しみだった。温暖化によって炎天は激化しているが、「裏町」も「薬売」も大きく様変わりしているご時世である。炎天と言えば橋本多佳子の句「炎天の梯子昏きにかつぎ入る」も忘れがたい。『俳句と地球物理学』(1997)所収。(八木忠栄)


February 1322013

 冬川や朽ちて渡さぬ橋長し

                           寺田寅彦

境の川にかかる橋は別として、車輛が頻繁に通るような橋は、今どきは耐震性も見かけもずいぶん立派なものになってきている。ここで詠まれている橋は木橋か土橋か、いずれにせよ老朽化してしまって、人が渡ることが禁じられている橋であろう。冬であれば、人が通らない橋は一段と寒々しく眺められ、渡れないということで実際以上に長い橋のように感じられるのだ。おそらく、その川は郊外を流れているのであろう。川はいつもより水かさが増して、白々と流れているかのように想像される。だからなおさらのこと、橋の老朽化が強く印象づけられ、いっそう長いものに感じられるのであろう。寒さのなかにも、古き良き時代の風景を感じさせてくれる句である。俳人としてもよく知られている寅彦は、二十歳の頃に俳句を見てもらうために夏目漱石を訪ね、いくつかの俳句が「ホトトギス」に掲載された。漱石には「谷深み杉を流すや冬の川」がある。『俳句と地球物理』(1997)所収。(八木忠栄)


July 1572015

 雲の峯見る見る雲を吐かんとす

                           寺田寅彦

空にぐんぐん盛りあがってゆく雲の峯は、まさに「見る見る」その姿を変えてしまう。まるで生きもののようである。見ていて飽きることがない。ダイナミックに刻々と姿を変えてゆくさまは、「雲を吐」くように見えたり、噴きあげるように見えたり、動物など生きものの姿にそっくりに見えたりして、見飽きることがない。雲が雲を吐くととらえた、そのときの様子が目に見えるようである。何年か前、わが家の愛犬が死んで遺骨にしての帰路、春の空前方に浮かんだ雲が、走る愛犬の姿そっくりに見えて感激したことがあった。寅彦は俳句を漱石に熱心に師事したけれども、句集は出していない。俳号は寅日子。しかし、「俳句の本質的概論」や「俳句の精神」「俳諧瑣談」の他、俳句に関する論文はさすがにいくつかある。他に「涼しさの心太とや凝りけらし」「曼珠沙華二三本馬頭観世音」などの句がある。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)




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