強い北風も12月になると木枯しとは呼ばない。ご存じでしたか。木枯し句作るなら今の内!!




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November 17111999

 寒夜哉煮売の鍋の火のきほひ

                           含 粘

い出しては、柴田宵曲の『古句を観る』(岩波文庫・緑106-1)を拾い読みする。元禄期の無名作家の俳句ばかりを集めて解説した本だ。解説も面白いが、当時の風俗を知る上でも貴重な一本である。この句は、秋の部の最後に紹介されている。「煮売」は、魚や野菜を煮ながら売る商売で、作者は煮られているものよりも、煮ている火の勢いに見入っている。薪の炎だろう。寒い夜の人の心の動きが、よくつかまえられている。電灯などない時代だから、よけいに炎の色は鮮やかだったろうが、現代人にも通じる世界だ。宵曲は上五字の「寒夜哉」に注目して、こう書いている。「『寒夜哉』という風な言葉を上五字に置く句法は、俳句において非常に珍しいというほどでもないが、下五字に置いたのよりは遥に例が少い。それだけ用いにくいということにもなるが、詠歎的な気持は下五字を『かな』で結ぶよりも強く現れるような気がする。この句は『火のきほひ』の一語によって、上の『寒夜哉』を引締めているようである」。そこで私は、いろいろと「寒夜哉」の位置を替えて遊んでみた。やっぱり、上五字にもってくるのが、いちばん納まりがよいようである。(清水哲男)


November 16111999

 隣席を一切無視し毛糸編む

                           右城暮石

者は、明らかに「むっ」としている。「隣席」というのだから、電車のなかだろう。たまたま坐った隣席の女性が、一心に毛糸を編んでいる。一心はよろしいが、電車が揺れるたびに、編み棒やら毛糸玉やらがこちらの領域を侵蝕してくる。気になって仕方がない。明治生れ(明治32年)の作者の気持ちを現代語に翻訳しておけば、「チョーむかつく」というところか。最近はあまり見かけないけれど、昔は電車のなかでの編み物は珍しくなかった。隣り合わせてしまったら、あれは災難としか言いようがない。しかも私は尖端恐怖症気味だったので、隣席の編み棒は辛かった。「むかつく」けど文句も言えず、辛すぎるときには立って別の車両に移ったこともある。冬の季語としての「毛糸編む」。たいていの句が微笑を伴った作りになっているのに、暮石はとても不機嫌である。この不機嫌が、読者にはどこかユーモラスにも響くところに味がある。いま思い出したが、二十年ほど前、ラジオをはじめたころのスタジオでの相棒が、毛糸を編みながら放送しはじめたのにはたまげた。しかも、生放送。聞いている人は、彼女が編み棒を操りながら喋っているとは知らなかったろうが、目の前の私としては、素朴に「ああ女は強し」と思いましたね。『右城暮石「天狼」発表全句』(1999)所収。(清水哲男)


November 15111999

 院長のうしろ姿や吊し柿

                           大木あまり

立ての妙。そして、人間の不可解な感情のありどころ。院長は、病院の院長だろう。病院で院長が登場するとなれば、多くの場合、患者の家族に対しての深刻な話があるときと決まっているようなものだ。話し終わった院長が「そういうわけですから、よくお考えになって……」と席を立ち、くるりと後ろを向いた。目を上げた作者は、とたんになぜか「あっ、吊し柿に似ている」と思ってしまった。彼の話の中身はやはり深刻なもので、作者はうちひしがれた気持ちになっているのだが、「吊し柿」みたいと可笑しくなってしまったことも事実なのだし、その不思議をそのまま正直に書きつけた句だ。こういうことは、誰の身にも起きる。葬儀の最中に、クスクス笑いがこみあげてくることもある。不謹慎と思うと、なおさら止まらない。あれはいったい、何なのだろうか。どういう感情のメカニズムによるものなのか。そして、古来「吊し柿(干柿)」の句は数あれど、人の姿に見立てた句に出会ったのははじめてだ。読んでからいろいろと想像して、この院長は好きになれそうな人だと思った。もちろん、作者についても。『雲の塔』(1994)所収。(清水哲男)




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