ボーナスと縁が切れて三十数年。往時は現金支給で封も切らず飲み屋のママに渡していた。




1999ソスN11ソスソス24ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

November 24111999

 血を売って愉快な青年たちの冬

                           鈴木六林男

までは無くなったが、エイズ問題が起こる前まで、売血という仕組みがあった。血液バンクというものがあり、そこに行けばすぐ自分の血が金になるのである。これはある種の人たちにとっては恰好のアルバイトであり、最後の生活手段でもあった。この句を読むと、そうした昭和三十年代頃の東京の貧しさや、夢と希望(のようなもの)があった私の青春時代を思い出す。私は血を売ったことはなかったけれど、私の周辺にも万引きと売血で生きている若者が何人もいた。青春は暗く貧しい。だが、絶対的といえるほど愉快でもある。この句はそうした青春を振り返り、その時代の気分だけを抽出して、現在に生き生きと蘇らせている。それにしても、このような句を、七十代の作者が新作として作っているのですぞ。「俳句朝日」(1999年12月号・特集「この一年の成果」)所載。(井川博年)


November 23111999

 ひとり燃ゆ田の火勤労感謝の日

                           亀井絲游

労感謝の日の定義は「勤労をたっとび、生産を祝い、国民がたがいに感謝しあう日」(1948年制定「国民の祝日に関する法律」)というものだ。どうも、しっくり来ない。元来が「新嘗祭(にいなめさい)」であり、新穀に感謝する日であったのが、皇室行事ゆえに、戦後そこらへんを曖昧化した祝日だからだ。「勤労感謝」という言葉から、この法的定義が浮かび上がるわけもなく、日本語としても変なのである。したがって、私たちは半世紀もの間、なんだかよくわからない顔をしながら、この日を休んできた。俳人たちも困惑してきたようで、これぞという句にはお目にかかったことがない。「窓に富士得たる勤労感謝の日」(山下滋久)と詠まれても、作者には失礼ながら、「ウッソォ」と言いたくなる。たまたま快晴だっただけのことで、この日をたとえば元日のように、いかにも晴朗な気分で迎えたというわけではないだろう。その点、掲句には曖昧な気持ちが曖昧のままに表現されていて、面白いと思った。冬を迎える前に、田に散らばったものを片づけ燃やしている。夕暮れになって、火の赤さがちろちろと目に写る。そういえば今日は「勤労感謝の日」だけれど、田で働く自分にとっては関係がないな。何かへの皮肉ではなく、祝日とは無縁の自分を淡々と詠んでいるところが、凡百の「勤労感謝の日」の句のなかでは傑出している。(清水哲男)


November 22111999

 舎利舎利と枯草を行く女かな

                           永田耕衣

景かもしれない。枯草原を女が歩いている。和服の裾が枯草に触れて、そのたびにかすかな音がする。しゃりしゃり、と。それを作者は「舎利舎利」と聞きなしているわけだが、若い読者には駄洒落としか思えないだろう。しかし、七十代も後半の作者は大真面目だ。この場合の「舎利」は火葬の後の骨のこと。晩年にさしかかったという自覚のある耕衣には、しごく素直にそう聞こえたのである。このとき女は幽霊のようであり、自分をあの世に誘う使者のようでもある。といって、暗い句ではない。むしろ、死を従容として受け入れようとする心が描いた「清澄な世界」とでも言うべきか。明晰なイリュージョン。私ももう少し歳を重ねることになったら、かくのごとき境地にあやかりたいものだ。ところで、幽霊とお化けとはどう違うのか。簡単に言うと、幽霊は「人」につき、お化けは「場所」につく。柳の下に出る幽霊は「場所」についているようだが、実は違う。あれは、誰にも見えるわけじゃない。とりつかれた人にだけしか見えないのだから、どうかご安心を(笑)。そろそろ柳の散る季節。寒がりの幽霊は、もう出なくなる。『殺佛』(1978)所収。(清水哲男)




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