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1999ソスN11ソスソス25ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

November 25111999

 蕪汁に世辞なき人を愛しけり

                           高田蝶衣

汁(かぶらじる)は、蕪を入れたみそ汁。寒くなると蕪に甘味が出てくるので、より美味になる。素朴で淡泊な味わいが「世辞なき人」に通じていて、よくわかる句だ。農家だった頃の我が家では、冬の間は毎日のように食べていた。みそ汁ばかりでは飽きてくるので、すまし汁にもしたが、私はこちらのほうを好んだ。この句も、すまし汁のほうではないだろうか。みそ汁よりも、もっと蕪の素朴な味が生きてくるからだ。そして私はといえば、あつあつのすまし汁をご飯の上にじゃーっとかけて食べていた。この食べ方を「ネコ飯」と嫌う人もいるけれど、別の表現をしておけば、ほとんど「雑炊」だとも言えるのであり、寒い日にはとても身体が暖まる。いつの頃からか、じゃーっとはやらなくなったが、蕪の入った雑炊はいまだに好物だ。が、昨今の東京では、なかなか美味な蕪にはお目にかかれない。夏のキュウリと冬のカブ。好物の味が、どんどん下落していく悲しさよ。ところで、ネコはカブを食べますか。(清水哲男)


November 24111999

 血を売って愉快な青年たちの冬

                           鈴木六林男

までは無くなったが、エイズ問題が起こる前まで、売血という仕組みがあった。血液バンクというものがあり、そこに行けばすぐ自分の血が金になるのである。これはある種の人たちにとっては恰好のアルバイトであり、最後の生活手段でもあった。この句を読むと、そうした昭和三十年代頃の東京の貧しさや、夢と希望(のようなもの)があった私の青春時代を思い出す。私は血を売ったことはなかったけれど、私の周辺にも万引きと売血で生きている若者が何人もいた。青春は暗く貧しい。だが、絶対的といえるほど愉快でもある。この句はそうした青春を振り返り、その時代の気分だけを抽出して、現在に生き生きと蘇らせている。それにしても、このような句を、七十代の作者が新作として作っているのですぞ。「俳句朝日」(1999年12月号・特集「この一年の成果」)所載。(井川博年)


November 23111999

 ひとり燃ゆ田の火勤労感謝の日

                           亀井絲游

労感謝の日の定義は「勤労をたっとび、生産を祝い、国民がたがいに感謝しあう日」(1948年制定「国民の祝日に関する法律」)というものだ。どうも、しっくり来ない。元来が「新嘗祭(にいなめさい)」であり、新穀に感謝する日であったのが、皇室行事ゆえに、戦後そこらへんを曖昧化した祝日だからだ。「勤労感謝」という言葉から、この法的定義が浮かび上がるわけもなく、日本語としても変なのである。したがって、私たちは半世紀もの間、なんだかよくわからない顔をしながら、この日を休んできた。俳人たちも困惑してきたようで、これぞという句にはお目にかかったことがない。「窓に富士得たる勤労感謝の日」(山下滋久)と詠まれても、作者には失礼ながら、「ウッソォ」と言いたくなる。たまたま快晴だっただけのことで、この日をたとえば元日のように、いかにも晴朗な気分で迎えたというわけではないだろう。その点、掲句には曖昧な気持ちが曖昧のままに表現されていて、面白いと思った。冬を迎える前に、田に散らばったものを片づけ燃やしている。夕暮れになって、火の赤さがちろちろと目に写る。そういえば今日は「勤労感謝の日」だけれど、田で働く自分にとっては関係がないな。何かへの皮肉ではなく、祝日とは無縁の自分を淡々と詠んでいるところが、凡百の「勤労感謝の日」の句のなかでは傑出している。(清水哲男)




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