「喪中につき、新年の挨拶欠礼」の葉書。ここ三十年ほど、一通も届かない年はなかった。




1999ソスN11ソスソス26ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

November 26111999

 ロボットと話している児日短か

                           八木三日女

後「前衛俳句」運動のトップランナーであった三日女(「満開の森の陰部の鰓呼吸」「赤い地図なお鮮血の絹を裂く」など)の近作だ(1995)。一読、ほほえましいような光景ではあるが、具体的に場面を想像してみる(たとえば「鉄腕アトム」と話している子供)と、不気味な句に思えてくる。アトムとまではいかないが、最近では人語に反応するロボット玩具が開発されており、句の場景も絵空事ではなくなってきた。不気味というのは、感情を持たない話し相手に感情移入できているという錯覚のそれである。ロボットと話すことで癒される心のありようは、不気味だとしか言いようがない。原理的に考えれば、ロボットに言語を埋め込むのは所有者であるから、ロボットとの対話は自身の一部との会話に他ならず、それもいちいち音声化する必要のない部分との対話である。対話型のロボットは、所有者に都合のよい「甘えの構造」の外在化でしかないだろう。そしてこのとき「日短か(「ひぃみじか」と関西弁で発音してください)」というのは、人類の冬の季節における「短日」の意味に受け取れる。世紀末にふさわしい一句と言うべきだ。(清水哲男)


November 25111999

 蕪汁に世辞なき人を愛しけり

                           高田蝶衣

汁(かぶらじる)は、蕪を入れたみそ汁。寒くなると蕪に甘味が出てくるので、より美味になる。素朴で淡泊な味わいが「世辞なき人」に通じていて、よくわかる句だ。農家だった頃の我が家では、冬の間は毎日のように食べていた。みそ汁ばかりでは飽きてくるので、すまし汁にもしたが、私はこちらのほうを好んだ。この句も、すまし汁のほうではないだろうか。みそ汁よりも、もっと蕪の素朴な味が生きてくるからだ。そして私はといえば、あつあつのすまし汁をご飯の上にじゃーっとかけて食べていた。この食べ方を「ネコ飯」と嫌う人もいるけれど、別の表現をしておけば、ほとんど「雑炊」だとも言えるのであり、寒い日にはとても身体が暖まる。いつの頃からか、じゃーっとはやらなくなったが、蕪の入った雑炊はいまだに好物だ。が、昨今の東京では、なかなか美味な蕪にはお目にかかれない。夏のキュウリと冬のカブ。好物の味が、どんどん下落していく悲しさよ。ところで、ネコはカブを食べますか。(清水哲男)


November 24111999

 血を売って愉快な青年たちの冬

                           鈴木六林男

までは無くなったが、エイズ問題が起こる前まで、売血という仕組みがあった。血液バンクというものがあり、そこに行けばすぐ自分の血が金になるのである。これはある種の人たちにとっては恰好のアルバイトであり、最後の生活手段でもあった。この句を読むと、そうした昭和三十年代頃の東京の貧しさや、夢と希望(のようなもの)があった私の青春時代を思い出す。私は血を売ったことはなかったけれど、私の周辺にも万引きと売血で生きている若者が何人もいた。青春は暗く貧しい。だが、絶対的といえるほど愉快でもある。この句はそうした青春を振り返り、その時代の気分だけを抽出して、現在に生き生きと蘇らせている。それにしても、このような句を、七十代の作者が新作として作っているのですぞ。「俳句朝日」(1999年12月号・特集「この一年の成果」)所載。(井川博年)




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