シアトルで夜間外出禁止令。そこまでして、WTO閣僚会議が企てる貿易の自由化とは何か。




1999ソスN12ソスソス2ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

December 02121999

 ポインセチア愛の一語の虚実かな

                           角川源義

言葉は、19世紀のイギリスで決められたものがベースになっている。各種あって特定しがたいが、手元の資料によれば、ポインセチアのそれは「祝福する」とあった。いかにも、この花の華麗さにふさわしい(もっとも、華麗なのは花ではなくて葉のほうだけど)。祝福の対象は恋愛などの「愛」よりも、人類愛などのそれだろう。恋愛というときの「愛の一語」にも虚実はあるが、人類愛の場合には、もっと虚実の濃淡がいちじるしい。「私は人類は大いに愛するが、隣りのババアだけはどうにも気にくわない」と正直に言ったのは、たしか文豪トルストイである。この季節になると、花屋の店先を占領するほどに出回るポインセチア。クリスマス向けというわけだが、その華麗さを買い求める人々の「愛」への思いと、その「虚実」や如何に。苦い一句だ。なお、ポインセチアの命名は、発見者であるポインセットに由来しているそうだ。人の名前なのである。ご存知でしたか。(清水哲男)


December 01121999

 福助の頭は空つぽや十二月

                           小泉八重子

助人形。「福助足袋」の広告で有名になったキャラクターだが、元来は江戸期より幸福招来の縁起ものとして、水商売の店などに飾られていた。句では、師走の正月用意の一つとしての足袋購入が意識されており、水商売のイメージはないと思われる。それにしても「福助」の頭の中が「からつぽ」とは、意表をついた発想だ。私など、一度もそんなことを思ったこともない。でも、言われてみると、なるほど「からつぽ」みたいに見えてくるから妙だ。頭が大きいので、なおさらである。もしも「福助」と話す機会があったとしても、どんな話をしたらよいのか、見当もつかない。そんな感じがしてくる。とにかく不思議なセンスで書かれた句ではあるが、 十二月とのマッチングが愉快だ。ちなみに、天下に「福助」キャラクターを有名にしたのは、大阪の川柳作家であった広告文案家の岸本水府である。この人は後に「グリコ」でも活躍し、「コドモハカゼノコ グリコノコ」「オザウニイハヘ グリコモイハヘ(お雑煮祝え、グリコも祝え)」などのコピー(豆文)を書いている。このあたりについては、田辺聖子著『道頓堀の雨に別れて以来なり』(中央公論社・1998)に詳しい。『遠望』(1989)所収。(清水哲男)


November 30111999

 あたゝかき十一月もすみにけり

                           中村草田男

から、この句が好きだ。なんということもないのだけれど、心がやすまる。実際に今年の十一月も暖かかったが、そういう事実を越えて、何か懐かしい響きを伝えてくれる句だ。意図的に使われている平仮名の、心理的な効果によるものだろう。字面は詠嘆的なのだが、詠嘆がまといがちな大袈裟な身振りを、やわらかい平仮名がくるんでしまっている。ほど良い酔い心地。そんな感じもする。そしてちょっびりと、同時に明日からの「酔いざめの師走」が暗示されていて、そこがまた読む者の琴線に微妙に触れてくるのだ。山本健吉が「腸詰俳句」と言った草田男独特の句境にはほど遠いところに位置する作品だが、草田男のもう一つの魅力が存分に発揮されている句だと思う。草田男は虚子門。やはり「ホトトギス」の子なのであった。(清水哲男)




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