年賀状書き。新春にいただいた賀状を眺めていると、不義理ばかりで忸怩たる思いになる。




1999ソスN12ソスソス5ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

December 05121999

 金の事思ふてゐるや冬日向

                           籾山庭後

書に「詞書略」とある。本当は書きたいのだが、事情があって書かないということだろう。なにせ、金のことである。誰かに迷惑がかかってはいけないという配慮からだ。籾山庭後は、経済人。出版社「籾山書店」を経営して身を引いた後も、時事新報社、昭和化学などの経営に参加した。永井荷風のもっとも長続きした友人でもある。冬の日差しは鈍いので、日向とはいえ肌寒い。ただでさえ陰鬱な気分のところに、金のことを考えるのだからやりきれない。さて、どうしたものか。思案の状態を詠んだ句だ。スケールは大違いだが、私も昔、友人と銀座に制作会社を持っていた。だから、作者の気持ちはよくわかるつもりだ。一度でも宛のおぼつかない手形を切ったことのある人には、身につまされる一句だろう。歳末には、金融犯罪が急増する。不謹慎かもしれないが、そこまで追いつめられる人たちの気持ちも、わからないではない。冷たい冬日向のむこうには、冷たい法律が厳然と控えている。 口直し(!?)に、目に鮮やかな句を。「削る度冬日は板に新しや」(香西照雄)。『江戸庵句集』(1916)所収。(清水哲男)


December 04121999

 暗さもジャズも映画によく似ショールとる

                           星野立子

前の句。作者が入ったのは、クラシック・スタイルのバーだろう。ほの暗い店内には静かにジャズが流れており、心地よい暖かさだ。大人の店という雰囲気。まるで映画の一場面に参加しているような気分で、作者はショールをとるのである。その手つきも、いささか芝居がかっていたと思われるが、そこがまた楽しいのだ。ショールというのだから、もちろん和装である。和装の麗人と洋装の紳士との粋な会話が、これからはじまるのだ。こうした店には、腹に溜まるような食べ物はない。間違っても、焼きおにぎりやスパゲッティなんぞは出てこない。あくまでも、静かに酒と会話を楽しむ場所なのである。いつの頃からか、このような店は探すのに苦労するほど減ってしまった。あることはあるけれど、めちゃくちゃに高いのが難である。強いて言うならば、現在の高級ホテルのバーと似ていなくもない。が、やはり違う。ホテルの店では、バーテンダーのハートが伝わってこないからだ。その意味からしても、最近の夜の遊び場はずいぶんと子供っぽくなってきている。だから、社会全体も幼稚で大人になれないのだ。遊び場は重要だ。遊び場もまた、人を育て社会を育てる。『続立子句集第二』(1947)所収。(清水哲男)


December 03121999

 鍵のある日記長女に買ふべきか

                           上野 泰

語は「日記買ふ」で冬。ちょうど今ごろの季節だ。作者の年譜から推察すると、句ができたときの長女の年齢は十六歳。高校生である。秘密を抱きはじめる年齢と親父は勝手に解釈し、鍵付きの日記帳を買ってやれば喜ぶだろうと思ったわけだ。実は私もそう思ったことがあるのだけれど、結論から言えば、やめたほうがよろしい。しょせん、親父には「女の子」のことなどわかりっこないのだから……。我が家の長女が中学生になったとき、実用にもなり精いっぱい可愛らしいと思う手帳を買ってやったが、彼女は何日も使わなかったようだ。べつに、冷たいからじゃない。どだい「センス」というものが、親父とは大いに違うのである。作者には、そういうことが少しはわかっていたのかもしれない。だから「買ふべきか」なのかもしれない。とにかく、娘を持った男親の心情はよく出ており、同じ身空の親父どもには受け入れられる句だろう。でも、あの玉手箱を押しつぶしたような鍵付きの日記帳の耐久性はどうなのだろう。三百六十五日、毎日鍵を使うとすると、鍵か錠前か、はたまた取り付けの金具か、いずれかが一年ももたないような気がしてならない。使用経験者のレポートを求めます。『一輪』(1965)所収。(清水哲男)




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