G黷ェMq句

December 10121999

 障子貼つて中仙道と紙一重

                           泉田秋硯

語は「障子(しょうじ)貼る」で秋。冬に備えて障子を張り替えた習慣から。「障子」だけなら冬季。「中仙道(中山道)」は、五街道の一つ。江戸日本橋を起点に信濃・美濃などを経て草津で東海道と合流し、京都に至る。作者は関西の人だから、草津あたりの光景だろうか。句のウィットが、なんとも楽しい。ぴしっと貼られた障子の外はというと、数々のドラマの舞台ともなってきた天下の中仙道である。そう思うだけで、心がざわめくような気がする。その気持ちを「紙一重」で表現した巧みさ。舌を巻くテクニックだ。俳句は簡単に作れる。十七音節に季語一個を用意して、俳句らしい気分、という気合いを「えい」とかけると一句になる。阿部完市は、この作り方を「俳句からくり機械」を使っていると揶揄しているが、この句はとても「からくり機械」ではできないだろう。もう一句。「溢れても柚子悉く湯にのこる」。冬至の柚子湯である。これまた、機械ではできない句だ。『薔薇の緊張』(1993)所収。(清水哲男)


December 22122001

 一族郎党が沈んでゐる柚子湯かな

                           八木忠栄

語は「柚子湯(ゆずゆ)」で冬。冬至の日に柚子湯に入ると、無病息災でいられるという。句は、古い田舎家の風呂場を思い起こさせる。作者は、ひさしぶりに帰省した実家で入浴しているのだろう。台所などと同じように、昔からの家の風呂場はいちように薄暗い。そんな風呂に身を沈めていると、この同じ風呂の同じ柚子湯に、毎年こうやって何人もの血縁者が同じように入っていたはずであることに思いが至った。息災を願う気持ちも、みな同じだったろう。薄暗さゆえ、いまもここに「一族郎党が沈んでゐる」ような幻想に誘われたと言うのである。都会で暮らしていると、もはや「一族郎党」という言葉すらも忘れている始末だが、田舎に帰ればかくのごとくに実感として想起される。そのあたりの人情の機微を、見事に骨太に描き出した腕の冴え。すらりと読み下せないリズムへの工夫も、よく本意を伝えていて効果的だ。なお蛇足ながら、「一族郎党」の読み方は、昔は「いちぞくろうう」ではなく「いちぞくろうう」であった。ならばこの句でも「いちぞくろうう」と読むほうが、本意的にはふさわしいのかもしれない。『雪やまず』(2001)所収。(清水哲男)


November 04112015

 十一月やぎ座と南の魚座のしっぽ

                           飯田香乃

年は小学生や中学生たちがさかんに俳句を作っているから、おじいちゃん・おばあちゃんたちもうかうかしてはいられない。ああでもない、こうでもない、と思案しているうちに、彼らはさらりヒョイと詠んでしまいかねない。香乃さんは酒井弘司の「朱夏」に属している中学二年生。幼稚園の年長さんのときから俳句を始めたという。おじいちゃん(弘司さん)に手ほどきを受けたらしい。あとがきに「私の俳句は、良く言うと大器晩成、悪く言うとなかなか上達しません」とある。やあ、末恐ろしいなあ。「頭にパッと良い句が浮かぶと、ハッピーになります」とも書いている。そのハッピーを経験したくて、大のオトナは四苦八苦しているわけです。でもなかなか……。魚座は晩秋の夕暮れに南中する。とにかく「やぎ」と「魚座のしっぽ」の取り合わせが少女らしく可愛くて、秋の夜空がいっそう美しく感じられる。字余りもこの際元気でいいなあ。他に「柚子風呂の柚子を蹴り蹴り温まる」の句も活発です。『魚座のしっぽ』(2015)所収。(八木忠栄)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます