TOKYO・FMで録音。灰田勝彦「野球小僧」をオンエアできるのが楽しみ。ラジオはいいな。




1999ソスN12ソスソス12ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

December 12121999

 熱燗や忘れるはずの社歌ぽろり

                           朝日彩湖

いなことに、社歌のある会社に勤めたことはない。朝礼のある会社には勤めたが、それだけでも苦痛なのに、社歌まで歌わされてはかなわない。誰だって(本音をたたけば経営陣だって)、作者のように忘れてしまいたいと思うだろう。しかし、これから「忘れるはず」の社歌が、酒の席で「ぽろり」と口をついて出てしまった。軽い自嘲。小さな風刺。さもありなんと、読者は苦笑いするしかないのである。と言いながら、社歌ではないけれど、私は昔、準社歌みたいな歌を書いたことがある。従業員のレクリエーションの集いなどにふさわしい歌詞をという依頼があり、当方は純粋な詩売人(!?)となって真面目に書き上げた。けっこう難産だった。タイトルは「風となる」(作曲・すぎやまこういち)。依頼人は「宝酒造株式会社」。でも、社内でこの歌が歌われているのかどうかは知らない。一度だけ、同社主催のゴルフ・コンペで流されていたという情報を聞いたことがあるきりだ。そのときに自分の歌詞を読み返してみて、なるほどゴルフ場には似合うかもしれないとは思った。だが、選りによって私の嫌いなゴルフの場で流されたのかと、ため息も出た。「チェッ」だった。俳誌「船団」(43号・1999年12月)所載。(清水哲男)


December 11121999

 海苔買ふや年内二十日あますのみ

                           田中午次郎

語は「年内(年の内)」。世の歳時記には「余す日も少なくなった年内。『年の暮』とほぼ同義だが、多少それよりゆとりを持つ感じ」と定義してある。では、いったい十二月の何日ごろから使ってもよい季語なのかと思っていたら、掲句を発見した。なるほど「年の暮」よりは、気持ち的にやや余裕のある今ごろの季語というわけか……。美味しそうな海苔を見かけた。少し早いかな。そう思いながら、作者は正月用にと買っておくことにした。でも、数えてみれば、今日から二十日経つと年が改まるという計算になる。となれば、別にそんなに早い「年用意」でもないなと、自分で自分を納得させているような句だ。「あますのみ」の「のみ」に、作者の海苔を買った言い分がある。で、海苔の袋を提げて往来に出てみると、正月はまだまだ先だというような顔をして、普段と同じような足取りで多くの人が歩いている。「あますのみ」の「のみ」を「のみ」と思わない人も、大勢いるということ。作者はそこまで言ってはいないのだが、こんなふうに読まないと、この句の面白さは引き出せないような気がする。しかし、あと一週間もすれば、世の中全体が「あますのみ」と言い募ることだろう。もちろん、私も。(清水哲男)


December 10121999

 障子貼つて中仙道と紙一重

                           泉田秋硯

語は「障子(しょうじ)貼る」で秋。冬に備えて障子を張り替えた習慣から。「障子」だけなら冬季。「中仙道(中山道)」は、五街道の一つ。江戸日本橋を起点に信濃・美濃などを経て草津で東海道と合流し、京都に至る。作者は関西の人だから、草津あたりの光景だろうか。句のウィットが、なんとも楽しい。ぴしっと貼られた障子の外はというと、数々のドラマの舞台ともなってきた天下の中仙道である。そう思うだけで、心がざわめくような気がする。その気持ちを「紙一重」で表現した巧みさ。舌を巻くテクニックだ。俳句は簡単に作れる。十七音節に季語一個を用意して、俳句らしい気分、という気合いを「えい」とかけると一句になる。阿部完市は、この作り方を「俳句からくり機械」を使っていると揶揄しているが、この句はとても「からくり機械」ではできないだろう。もう一句。「溢れても柚子悉く湯にのこる」。冬至の柚子湯である。これまた、機械ではできない句だ。『薔薇の緊張』(1993)所収。(清水哲男)




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