譟エ逕ー蟾ヲ逕ー逕キ縺ョ句

December 18121999

 吾子逝けり消壷の炭灰を被て

                           柴田左田男

縁(ぎゃくえん)は痛ましい。子供に死なれた親の句の前では、ただ黙祷するしかない。なかでも、この句は子供の命と身体を、柔らかくもはかない消炭になぞらえていることで、忘れられない絶唱である。なぞらえる物ならば、他にいくらでもあるというのに、作者はあえて身近で地味な消炭を選んだのだ。それが、たとえば鶴や天馬に擬するよりも、短い間にもせよ、この家でともに暮らした思いをとどめるためであり、最良の供養だということである。作者の心中を察するにあまりあるが、この強じんなポエジーには作者の悲しみを越えて、人間存在に対する深い悲しみが感じられる。おのずから、涙がこぼれてきそうな名句だ。うろ覚えで恐縮だが、やはり子供に先だたれた親が刻したイギリスの墓碑銘に、こんなのがあった。「ちょっと部屋に入ってきて、キョロキョロ見回して、退屈だからさっさと出ていった」。明るいタッチだけに、余計に涙を誘われる名碑文だ。この冬も、インフルエンザ流行の兆し。悲しい親が、一人も生まれないですむことを切に祈ります。(清水哲男)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます