ここ数年、手帖の必要を感じない。パソコンに依存。単調な生活ということにもなるけれど。




1999ソスN12ソスソス25ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

December 25121999

 主を頌むるをさなが歌や十二月

                           石塚友二

くから、子供たちの歌う賛美歌が聞こえてくる。近くに、幼稚園か小学校があるのだろう。そういえば、毎年同じように「をさなが歌」が流れてくるなあ。歌詞の意味などわからずに「主を頌(ほ)」めている子供たちの歌声に、作者は微笑を浮かべている。これもまた、十二月の風物詩だ。私が賛美歌をいくつか覚えたのは、十歳くらいのときだった。熱心なクリスチャンが校長として赴任してこられたおかげで、習うことができた。サンタクロースのことも、そのときにはじめて知った。戦後も二三年経ったころのことだ。教室にツリーを飾ろうということになり、裏山から手ごろなモミの木を切ってきて立てた。そのツリーを囲んで覚えたての歌を歌い、終わるとサンタに扮した校長からプレゼントをいただいた。生まれてはじめて見るカラフルなチョコ・ボール。「さあ、食べてごらん」と先生はおっしゃったが、誰ひとり口にしようとする子はいなかった。誰もがとっさに、家で待っている弟妹たちと、いっしょに食べたいと思ったからだ。ちり紙に包んでポケットにしまい、すっかり日の暮れた表に出ると、雪が降っていた。いまでも私が歌える賛美歌は、このときに覚えたものだけである。(清水哲男)


December 24121999

 新宿のノエルのたたみいわしかな

                           池田澄子

エル(Noёl)は、フランス語でクリスマス。その昔、我が青春の学校であった新宿の酒場街は、クリスマスだのイブだのには微動だにしなかった。空騒ぎをしていたのは安キャバ・チェーンくらいのもので、静かなものだった。そりゃ、そうだ。夜ごと飲み屋に集う面々には、敬虔なクリスチャンなどいるはずもなかったのだから……。物の本や映画で、七面鳥がご馳走くらいのことは知っていたけれど、食べてみたいという気も起きなかった。それでもタタミイワシをぽりぽりやりながら「今日はイブだな」と思い出す奴もいたりして、でも、会話はそれっきり。この時季に盛り上がる話題といえば、もうこれは競馬の「有馬記念」と決まっていた。「有馬記念」に七面鳥や、ましてケーキなんぞは似合わない。ところで正直に言って、この句が何を言おうとしているのかは、よくわからない。勝手に私が昔の新宿に結びつけているだけで、このときなぜ「ノエル」と洒落たのかとなると、ますますわからなくなる。が、あの頃の新宿には、たしかにタタミイワシがよく似合っていた。銀座でも渋谷でもなく、どうしても新宿という雰囲気だった。第一に、新宿の街それ自体が、タタミイワシみたいに錯綜していた。でも、いつしか、イブにタタミイワシを口にすることもなくなってしまった。今年の人気馬「スペシャルウィーク」がどんな走りをするのかも、もとより知らない。往時茫々である。メリー・クリスマス。『空の庭』(1988)所収。(清水哲男)


December 23121999

 思惟すでに失せ渺渺と額の雪

                           深谷雄大

者は北海道在住。「雪の雄大」と称されるほどに、雪に取材した句が多く、優れた句も多い。吹雪の道を行く感慨だ。猛烈な吹雪のなかを歩いていると、考えることなど何もできなくなり、ただひたすらに前進あるのみ。額(ぬか)にかかる雪も、渺渺(びょうびょう)と果てしない感じになってくる。これほどまでの吹雪の体験はないけれど、私が育った山陰地方の雪も昔はけっこう降ったので(学校が休みになることも度々だった)、多少とも雰囲気はわかる。一面の銀世界、というよりも灰色の世界を歩いていると、思惟(しい)などはたちまち蒸発してしまい、妙なことを言うようだが、やけに自分の身体だけが身近に感じられたものだ。吐く息の熱さが意識され、こらす目の不可視性が頼りなく意識される……。日ごろは抽象性を帯びている身体が、自然の働きのなかで、にわかに具体的に生々しいものとなるわけだ。その生々しさが、句では「額」に象徴されている。若き日の深谷雄大は、詩人でもあった。したがって、この句が収められている第一句集『裸天』(1968)は、詩書出版社の思潮社から刊行された。現在は『定本裸天』(1998)として、邑書林により文庫化されている。(清水哲男)




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