東京は国立市で除夜の鐘を中止した寺がある。停電で真っ暗になると危険だからという理由。




1999ソスN12ソスソス26ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

December 26121999

 年の市目移りばかりして買はず

                           田口渓月

リスマスが過ぎると、誰もがにわかに昔風の日本人に変身する。「年の市」の本来の意味は、月ごとの市のうちで大年(年末)に立つ市のことだ。ちなみに、今日12月26日の市のなかでは、東京の麹町平河天神のそれが有名だったようだが、いまではどうだろう。それよりも、本来の市ではないけれど、今日あたりから押すな押すなの活況を呈する上野「アメ横」の通りのほうが、よほど年の市らしい雰囲気となる。さて、作者は正月用意のために市にやってきたのだけれど、とにかく目移りがしてしまって、結局は何も買わずに帰ってきてしまった。が、この句の裏には明らかに「もう一度、日をあらためて出直せばよい」という気持ちがある。まだ苦笑する余裕があるというわけで、読者も救われる。しかし、新年まで二三日を余すくらいだと、こうはいかない。「のぼせたる女の顔や年の市」(日野草城)ということになったり、「年の市白髪の母漂へり」(山田みづえ)となったりして、大事(おおごと)となる。加えて、今年は「2000年問題」を抱えた歳末だ。目移りしているゆとりもあらばこそ、いつもの年末とは違う買い物に忙しい人が多いはずだ。それにしても、年用意に「缶詰」やら「カンパン」やら、はたまた「水」までをも買いあさる羽目になろうとは……。こうした事態をさして、私たちの常識は「世も末だ」と言ってきたのであるが。(清水哲男)


December 25121999

 主を頌むるをさなが歌や十二月

                           石塚友二

くから、子供たちの歌う賛美歌が聞こえてくる。近くに、幼稚園か小学校があるのだろう。そういえば、毎年同じように「をさなが歌」が流れてくるなあ。歌詞の意味などわからずに「主を頌(ほ)」めている子供たちの歌声に、作者は微笑を浮かべている。これもまた、十二月の風物詩だ。私が賛美歌をいくつか覚えたのは、十歳くらいのときだった。熱心なクリスチャンが校長として赴任してこられたおかげで、習うことができた。サンタクロースのことも、そのときにはじめて知った。戦後も二三年経ったころのことだ。教室にツリーを飾ろうということになり、裏山から手ごろなモミの木を切ってきて立てた。そのツリーを囲んで覚えたての歌を歌い、終わるとサンタに扮した校長からプレゼントをいただいた。生まれてはじめて見るカラフルなチョコ・ボール。「さあ、食べてごらん」と先生はおっしゃったが、誰ひとり口にしようとする子はいなかった。誰もがとっさに、家で待っている弟妹たちと、いっしょに食べたいと思ったからだ。ちり紙に包んでポケットにしまい、すっかり日の暮れた表に出ると、雪が降っていた。いまでも私が歌える賛美歌は、このときに覚えたものだけである。(清水哲男)


December 24121999

 新宿のノエルのたたみいわしかな

                           池田澄子

エル(Noёl)は、フランス語でクリスマス。その昔、我が青春の学校であった新宿の酒場街は、クリスマスだのイブだのには微動だにしなかった。空騒ぎをしていたのは安キャバ・チェーンくらいのもので、静かなものだった。そりゃ、そうだ。夜ごと飲み屋に集う面々には、敬虔なクリスチャンなどいるはずもなかったのだから……。物の本や映画で、七面鳥がご馳走くらいのことは知っていたけれど、食べてみたいという気も起きなかった。それでもタタミイワシをぽりぽりやりながら「今日はイブだな」と思い出す奴もいたりして、でも、会話はそれっきり。この時季に盛り上がる話題といえば、もうこれは競馬の「有馬記念」と決まっていた。「有馬記念」に七面鳥や、ましてケーキなんぞは似合わない。ところで正直に言って、この句が何を言おうとしているのかは、よくわからない。勝手に私が昔の新宿に結びつけているだけで、このときなぜ「ノエル」と洒落たのかとなると、ますますわからなくなる。が、あの頃の新宿には、たしかにタタミイワシがよく似合っていた。銀座でも渋谷でもなく、どうしても新宿という雰囲気だった。第一に、新宿の街それ自体が、タタミイワシみたいに錯綜していた。でも、いつしか、イブにタタミイワシを口にすることもなくなってしまった。今年の人気馬「スペシャルウィーク」がどんな走りをするのかも、もとより知らない。往時茫々である。メリー・クリスマス。『空の庭』(1988)所収。(清水哲男)




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