四ツ谷駅ホームにふかく歳晩の夕日差し入るあかあかとして(宮柊二)。高校時代に愛した歌。




1999ソスN12ソスソス28ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

December 28121999

 ひねもすを御用納めの大焚火

                           今井つる女

いていの職場では、今日で年内の仕事を終了する。といっても、実質的には普段の仕事とは異なり、得意先への挨拶回りや、句のように大掃除をして過ごす職場がほとんどだろう。それも、大半が午前中で終わってしまう。句のように、昔は街のそこここで焚火が見られ、年末気分がいっそう高まったものだが、現在は「どんど焼き」までが目の敵にされる世の中。なかなか「ひねもす」の大焚火など見られなくなった。幸いなことに、我が家の近所にある小さな工場では、委細構わずに派手に焚火をする。何を作っているのかはわからないが、普段でもときどき焚火をしているので、相当な木くずが出るようだ。したがって、例年の仕事納めの日には、とにかく盛大に一日中燃やしつづけるのである。その場を通りかかるのが、いつしか私の年末の楽しみになってしまった。通りかかるだけで、顔がかっと熱くなる。しばらく立ち止まって、燃え盛る炎を見つめるのは快楽と言ってもよい。さて、このページに職場からアクセスしてくださっている皆さまとは、しばらくお別れですね。一年間のご愛読、ありがとうございました。よいお年をお迎えくださいますように。(清水哲男)


December 27121999

 懐中手新年号をふところに

                           永井龍男

語は「懐中手(懐手・ふところで)」。和服姿である。文学青年の野心が彷彿としてくる句だ。以下は、作者である小説家・永井龍男の回想である。「まことに独り合点な句だが、捨て難かった。昭和十年頃までの綜合雑誌『中央公論』『改造』、文芸雑誌の『新小説』『新潮』『文芸』の新年特別号は、創作欄に時の大家中堅の顔を揃え、時には清新な新進を加えて実にけんらんたるものがあった。自分も何年か後には、新年号の目次に名を連ねてと夢をいだいたのは、私という一文学青年ばかりではあるまい。そのような若い日の姿が、ある日よみがえってきた」。現代の若者の胸中には、もはやこのような野心のかたちは存在しないだろう。私が若かったころは、まだ匂いくらいは残っていた。それこそ「文芸」の編集者時代(1960年代)には、新年号の創作欄に綺羅星のように大家中堅の名前を載せるために、みんなして走り回ったものだった。雑誌の発売日にライバル誌の目次を見て、「勝った、負けた」と騒いだのも懐しい思い出である。したがって、必然的に二月号は新進特集などでお茶を濁すことになり(失礼)、製本が終わったところで正月休みとなるのだった。『文壇句会今昔・東門居句手帖』(1972)所収。(清水哲男)


December 26121999

 年の市目移りばかりして買はず

                           田口渓月

リスマスが過ぎると、誰もがにわかに昔風の日本人に変身する。「年の市」の本来の意味は、月ごとの市のうちで大年(年末)に立つ市のことだ。ちなみに、今日12月26日の市のなかでは、東京の麹町平河天神のそれが有名だったようだが、いまではどうだろう。それよりも、本来の市ではないけれど、今日あたりから押すな押すなの活況を呈する上野「アメ横」の通りのほうが、よほど年の市らしい雰囲気となる。さて、作者は正月用意のために市にやってきたのだけれど、とにかく目移りがしてしまって、結局は何も買わずに帰ってきてしまった。が、この句の裏には明らかに「もう一度、日をあらためて出直せばよい」という気持ちがある。まだ苦笑する余裕があるというわけで、読者も救われる。しかし、新年まで二三日を余すくらいだと、こうはいかない。「のぼせたる女の顔や年の市」(日野草城)ということになったり、「年の市白髪の母漂へり」(山田みづえ)となったりして、大事(おおごと)となる。加えて、今年は「2000年問題」を抱えた歳末だ。目移りしているゆとりもあらばこそ、いつもの年末とは違う買い物に忙しい人が多いはずだ。それにしても、年用意に「缶詰」やら「カンパン」やら、はたまた「水」までをも買いあさる羽目になろうとは……。こうした事態をさして、私たちの常識は「世も末だ」と言ってきたのであるが。(清水哲男)




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