今日から仕事。暦の巡り合わせで久方ぶりに元日二日と休めた。来年は…、れれっ元日からだ。




2000ソスN1ソスソス3ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

January 0312000

 賀状うづたかしかのひとよりは来ず

                           桂 信子

かりますよね、この切なさ。ちょっと泣きたくなるような心持ち。三日になっても配達されないということは、もう来ないのだと諦めている。でも、念のために「うづたか」い年賀状の山から、二度三度と見返しているのだろう。たった一枚の紙切れながら、その人にとっては重要な意味を持つ賀状もある。「来ず」と断言してはみたものの、また明日からしばらくは、ドキドキしながら郵便受けをのぞきに出るのである。覚えは私にもあり、しかし来れば來たで簡単な文面の真意を探るべく、けっこう悩んだりするのだから罪な風習もあったものだ。かと思うと、久保より江にこういう句がある。「ねこに来る賀状や猫のくすしより」。「くすし」は「薬師・医」で、つまり猫のお医者さんだ。『吾輩は猫である』には「元朝早々主人の許へ一枚の絵葉書が来た」とあって、主人が描かれている動物の正体がわからず四苦八苦する図が出てくる。つまり、漱石の猫には主人を経由して賀状が届いたのだが、句の場合はストレートに配達されたわけだ。でも、こうして猫には大切な人からちゃんと来ているのに、人には来ないのかと思うと、よけいに掲句が切なく思えてくる。今からでも遅くはない。どこのどなたかは存じませんが、心当たりのある人は、すぐに作者に返事を出してあげなさい。『女身』(1955)所収。(清水哲男)


January 0212000

 留守を訪ひ留守を訪はれし二日かな

                           五十嵐播水

句で「二日」は、正月二日の意。以下「三日」「四日」「五日」「六日」「七日」と、すべて季語である。最近では「二日」も「三日」もたいして変わりはしないが、昔はこれらの日々が、それぞれに特別の表情を持っていたというわけだ。「二日」には初荷、初湯、書き初めなどがあり、明らかに「三日」や「四日」とは違っていた。年始回りに出かけるのも、この日からという人が多かった。私が子供だったころにも「二日」は嬉しい日だった。大晦日と元日は他家に遊びに行くのは禁じられていたから、この日は朝から浮き浮きした気分であった。掲句は、賀詞を述べようと出かけてみたらあいにく相手が留守で、やむなく帰宅したところ、留守中に当の相手が訪ねてきていたというのである。どこで、どうすれ違ったのか。いまならあらかじめ電話連絡をして出かけるところだけれど、昔は電話のない家が大半だったので、えてしてこういう行き違いが起きたものだ。ヤレヤレ……という感興。作者の五十嵐播水は1899年(明治32年)生まれ。虚子門。百歳を越えて、なお現役の俳人として活躍しておられる。あやかりたい。(清水哲男)


January 0112000

 星屑と云ふ元日のこはれもの

                           中林美恵子

日の句は多々あれど、じわりと心に染み入ってくるような美しい句はそんなにあるものではない。どことなくクリスマスの余韻を引きずっているような雰囲気もあるが、元日に「こはれもの」をそっと重ね合わせた発想は素晴らしい。しかも、スケールはとてつもなく大きいのだ。作者も着想したときには、きっと「やったア」と思ったでしょうね。うむ、年頭にこの一句を据えられたことで、当ページの未来は開けたも同然だ。……というほどに、気に入ってしまった。いま出ている角川版歳時記の一つ前のバージョンで見つけた句だ。ところで掲句とは関係ないのだが、実作者の方々に一言。近着の俳句雑誌で「紀元2000年」と表記した句を散見する。むろん「西暦紀元」の意だとはわかるが、私はこの表記に賛成しない。というのも、日本では戦前戦中に「紀元」というと、すべてが「皇紀」として認識されていたからだ。「皇紀」は1872年(明治5年)に、国家が神武天皇即位の年を西暦紀元前660年と定めたものだ。この物差しに従うと、今年は「紀元2660年」という勘定になる。いまでも、一瞬「紀元」即「皇紀」と反応する人は大勢いるので、厭な時代を思い出してしまうことにもなる。加えて、後世の人が「西暦紀元」なのか「皇紀紀元」なのかと混乱する危険性は十分にあり、当の作者にしても「歴史に無知な俳人だ」と、いらざる誤解を受けかねないからでもある。(清水哲男)




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