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January 0712000

 今も師に遠く坐すなり新年会

                           風間ゆき

社の新年会か、同級会なのか。いずれにしても、先生という人を中心にした集いである。でも、新年会は無礼講ということで、席順はなし。どこに坐ってもよいのだが、やはりいつもとと同じように、先生からは遠く離れたところに坐ってしまう。昔からである。私にもそういうところがあるので、身に沁みる句だ。小学生の頃から、どうも先生という人が苦手で、なるべく離れるようにしてきた。敬遠だ。よく先生の手にぶら下がって甘えている女の子がいたけれど、私にしてみれば気が知れなかった。だから、こうした会合ではなくとも、先生がおられなくても、そんな気質が日常の場でひょこひょこと顔を出してくる。電車に乗るときなどもそうで、めったなことでは一番前の車両に乗ることはしない。いや、できない。いつも、一番後ろに乗る。自然と、そうなってしまっている。いわゆる「引っ込み思案」というヤツだ。昔の同級生からは「よく、そんな男にラジオの仕事が勤まるな」と言われるのだが、私に言わせれば、きっかけさえあれば「両極端は簡単に一致する」ということになる。あなたの場合は、どうでしょうか。(清水哲男)


January 0812012

 新年会すし屋の細き階のぼる

                           筒井昭寿

年、外資系の会社に勤めていた私にとっては、通勤した初日から年度末決算に追われて残業となり、新年気分などはすぐに吹き飛んでしまいます。それでも、「新年会」という理由が付けば、みんなで帰りに一杯やろうかという気分も出てきます。ちょっとした区切り目にはなるし、ささやかに生きて行く勇気も、酔いとともに多少はみなぎってきます。今日の句、読んでいるだけで、情景が目にまざまざと浮かんできます。小さなすし屋の、隅に様々な物が積んである狭い階段を、よろけながらのぼってゆきます。階下で用をたした後のことなのでしょうか。ふすまの向こうには、聴きなれた同僚たちの愉快な声が聞こえてきます。あたたかなざわめきの中へ、今年も再び入ってゆけることの喜びを感じながら。『角川俳句大歳時記 新年』(2006・角川書店)所載。(松下育男)




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