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January 1612000

 春雨や頬かむりして佃まで

                           辻貨物船

節に外れた句の掲載をご寛容いただきたい。「貨物船」は、一昨日急逝した詩人にして小説家・辻征夫の俳号である。享年六十歳。下町をこよなく愛した「ツジ」(と、私は呼び捨てにしていた)らしいユーモラスでもあり、ちょっぴり哀しくもある句だ。詩や小説とはちがって、決して上手な俳句作りじゃなかったけれど、我らが「余白句会」には欠かせない存在だった。いつも彼の周辺には、春風のように暖かく人を包む雰囲気が漂っていた。その「ツジ」が「頬かむり」もしないで、あろうことか忽然と姿を消しちゃったのだ。「これが飲まずにいられよか」と、いま私はビールを飲みながら、この原稿を書いている(15日午前10時)。この数行を書くのに一時間。「まだ中有にいるはずのツジよ、あんまりオレを混乱させるなよ。キミはすぐにばれる嘘つきの名手だったから、今度のことも、すぐにばれてほしいよ。もう一度この世に戻って、みんなに挨拶くらいして行けよ」。昨夜遅くに八木幹夫から訃報を知らされたときには、びっくりして涙も出なかった。でも、いまは違う。涙がじわりと滲み出てきてしまう。キミが元気だったら参加するはずの新年会が、今夜ある。元気でなくてもいいから、会には必ず出てこいよ。きっと、だぜ。……なんて、いくら書いても空しい。世紀末を生きた凄腕抒情詩人の冥福を祈る。そう言うしか、他に言葉はない。合掌。『今はじめる人のための俳句歳時記』(角川書店・1997)所収。(清水哲男)


March 0832000

 大人だって大きくなりたい春大地

                           星野早苗

直に、おおらかな良い句だと思った。辻征夫(辻貨物船)の「満月や大人になってもついてくる」に似た心持ちの句だ。三つの「大」という字が入っている。もちろん、作者は視覚的な効果を計算している。辻の句とは違い、技巧の力が働いている。このとき「春大地」の「大」に無理があってはならないが、ごく自然にクリアーした感じに仕上がった。ホッ。だから、句の成り立ちからして、掲句は写生句ではありえない。頭の中の世界だ。その世界を、いかに外側の世界のように出して見せるのか。そのあたりの手品の巧拙が勝負の句で、「船団の会」(坪内稔典代表)メンバーの、とくに女性たちの得意とする分野と言ってよいだろう。が、このような句作姿勢には常に危険が伴うのだと思う。技巧と見せない技巧を使うことに執心するがために、中身がおろそかになる危険性がある。「おろそか」は、技巧の果てに作者も予期しない別世界が出現したときに、「これはこれで面白いね」と自己納得してしまう姿勢に属する。俳句は短い詩型だから、この種の危険性は、なにも「船団俳句」に特有のことではないのだけれど、最近「船団」の人の句をたくさん読んでいるなかで、ふと思ったことではある。『空のさえずる』(2000)所収。(清水哲男)


April 2242000

 行く春やみんな知らない人ばかり

                           辻貨物船

節の春はもとより、人間の春も短い。詩人は「行く春」の季節のなかで、みずからの青春を追想しているように思える。林芙美子は「花の命は短くて苦しきことのみ多かりき」と、みずからの青春を「花」に擬したが、これは女性に特有の感覚だろう。女性に特有の感覚だからこそ、男に愛唱される一行となった。男の感覚には、存外まわりくどいところがある。ぴしゃりと「花」に行き着くことなどは、めったにない。根っこのところで、いつも行き暮れている。茫洋とし、かつ茫然としている。常識では、この様子を「シャイ」と言ったりするわけだが、正体を割ってみれば、行き暮れているだけのこと。ときに男が「蛮勇」を振るうのも、そのせいである。男の詩人にとっての詩は、いわば「蛮勇」の振るい場所なのだ。辻の最後の詩集のタイトルは『萌えいずる若葉に対峙して』と名づけられており、明確に「蛮勇」が露出している。ひるがえって、彼が真剣に俳句と遊んだ理由は、そこが必ずしも「蛮勇」を要求しない場所だったからだ。行き暮れたまま、そのままに内心を吐露することができたからだと思う。句の「知らない人」とは、もちろんアカの他人も含んでいるが、男の感覚にとって重要なのは、このなかには親も兄弟も、連れ合いも子供も、友人知己もが「みんな」含まれているところだ。「蛮勇」を振るわなくとも、俳句ではそういうことを「行き暮れ」たままに言うことができる。今年の春も、もう行ってしまう。『貨物船句集』(2000・井川博年編・私家版)所収。(清水哲男)


July 1372000

 藺ざぶとん難しき字は拡大し

                           波多野爽波

は「い」と読み、「藺ざぶとん」は藺草(いぐさ)で織った夏用の座布団のこと。よく見かける座布団で、四角いものも丸いものもある。なるほど「藺」という字は難しい。何気なく尻に敷いている「藺ざぶとん」だが、ふと「藺」というややこしい漢字が気になったので、調べてみたのだろう。でも、辞書の文字が小さくて、よく見えない。早速、天眼鏡で拡大してみて、ははあんとうなずいている。最近は、いつもこうだ。だいぶ視力が衰えてきたなア。そんな思いを、深刻めかさずに詠んでいる。テーマが「藺ざぶとん」そのものにはなく、名前の一文字であるところから、とぼけた味わいが浮かんでくるのだ。多くの読者にとっては、どうでもよいようなことであり、もとより爽波もそんなことは承知の上で作っている。これぞ、人をクッた爽波流。そういえば辻征夫(俳号・貨物船)にも似たような才質があって、たとえば「つという雨ゆという雨ぽつりぽつり」であるが、上手いのか下手なのか、さっぱりわからない。でも、確実にとぼけた良い味は出せている。『一筆』(1990)所収。(清水哲男)


November 13112000

 落葉降る天に木立はなけれども

                           辻貨物船

葉、しきり。といっても、作者は木立のなかを歩いているわけではない。ごく普通の道に、どこからか風に乗って次から次へと落葉が降ってくるのだ。さながら「天に木立」があるように……。詩人・辻征夫の面目躍如の美しい句である。作者のいる場所は寒そうだが、読者には暖かいものが流れ込んでくる。「なけれども」は「あるように」とも言えるけれど、やはり「なけれども」と口ごもったところで、句が生きた。なんだか、本当に「天に木立」があるような気がしてくるではないか。技巧など弄していないので、それだけ身近に詩人の魂の感じられる一句だ。ちょっと似たような句に、今井聖の「絶巓の宙に湧きくる木の葉かな」がある。「絶巓(ぜってん)」は、山の頂上のこと。切り立った山なのだろう。作者はそれを見上げていて、頂上に湧くように舞い上っている落葉を眺めている。落葉している木立は山の背後にあって、作者の位置からは見えていない。見えていると解してもよいが、見えていないほうが「湧きくる」の意外性が強まる。木立は「なけれども」、その存在は「木の葉」の様子から確認できるととったほうが面白い。切れ味のよい力感があって、素晴らしい出来栄えだ。両者の違いは、ともに木立の不在を言いながら、辻句はいわば「夢の木立」に接近し、今井句は「現実の木立」に近づいているところだ。相違は、詩人と俳人の物の見方の違いから来るのだろうか。井川博年編『貨物船句集』(2000)所収。(清水哲男)


December 19122000

 床屋出てさてこれからの師走かな

                           辻貨物船

し詰まってくると床屋も混みあうので、正月にむさくるしい感じにならない程度に、見計らって早めに床屋に行く。いまは男も美容院に行く時代なので、いささか乱立気味でもあり、こういう思案もなくなったかもしれない。私はもう、三十年も床屋とは無縁だ。家内の世話になっているので、床屋事情には、すっかりうとくなっている。昔は、町内に床屋の数は少なかった(いまでも「床屋(理髪店)」と限定すれば、同じことだろう)。したがって、どうしても頃合いを計らざるを得なかった。下手をすると、髪ぼうぼうのままに、正月を迎える羽目になる。作者は首尾よく、計算通りに散髪を完了し、すがすがしい気持ちで床屋を出た。すがすがしい気分だから、師走の町を歩きながら「さてこれから」だなと、気合いも入る。「さてこれから」何をしようか、やるべきことは山積しているような、していないような。とにかく「さてこれから」なのだ。この「さて」という気持ちが、師走特有の庶民の気分を代表している。師走だからといって、べつにジタバタしなくてもよいようなものだが、「とにかく」そう思い決めることで年の瀬気分を味わいたいというのが、作者のような下町っ子の心意気である。「師走」も「正月」も、ひとりで迎えるのではない。町内みんなで迎えてこそ、意味がある。だから、ちゃんと床屋にも行く。そういうことだ。「さて」が、実に巧く利いている。年が明ければ、貨物船(辻征夫)逝って一年。辻よ、そっちにも床屋はあるか。あれば、そろそろ行かなきゃね。そこで「さて」、床屋を出た君は何をするのだろう。『貨物船句集』(書肆山田・2001年1月刊行予定)所収。(清水哲男)


January 1512001

 雪降りつもる電話魔は寝ている

                           辻貨物船

夜、しんしんと冷え込んできた。表は雪だ。雪国育ちとは違って、作者のような東京の下町っ子は、たまに積もるほどの雪が降ると興奮する。嬉しくなる。といって、子供のようにはしゃぐわけではない。はしゃぎたい気持ちを抑えて、静かに瞑目するように雪の気配をいつまでも楽しむのだ。当然、お銚子一本くらいはついているだろう。この静かな雰囲気をぶち壊す者がいるとすれば、娘だろうか、とにかく話しだしたら止まらない「電話魔」だ。日ごろでも、うるさくてかなわない。そのことにふっと思いがいたり、幸いにも「寝ている」なと安堵している。雪の夜の静寂を詠んだ句は数あれど、こんなに奇抜な発想によるものは見たことがない。一読吹き出したが、たしかに言い得て妙だ。そしてこの妙は、単に雪の夜の静謐を表現しているばかりではなく、寝ている「電話魔」を含めての家族の平穏なありようにまで届いている。そこが、揚句の魅力なのである。詩人・辻征夫の暖かくも鋭い感受性の所産だ。ところで雪の夜の静寂を描いた詩では、三好達治の「雪」が有名だ。「太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪ふりつむ。/ 次郎を眠らせ、次郎の屋根に雪ふりつむ」。数年前にある大学の教室で解釈させたら、かなりの数の学生が「眠らせ」を「殺して」と説明したそうだ。新聞で読んだ。吹き出すよりも、「電話魔」世代の荒涼たる言語感覚をいたましく思った。『貨物船句集』(2001)所収。(清水哲男)


November 26112002

 すずかけ落葉ネオンパと赤くパと青く

                           富安風生

ずかけ(鈴懸・プラタナスの一種)は丈夫なので、よく街路樹に使われる。夜の街の情景だ。ネオンの色が変化するたびに、照らされて舞い落ちてくる「すずかけ落葉」の色も「パと」変化している。それだけのことで、他に含意も何もない句だろう。でも、どこか変な味のする句で記憶に残る。最初に読んだときには「ネオンパ」と一掴みにしてしまい、一瞬はてな、音楽の「ドドンパ」みたいなことなのかなと思ったが、次の「パと青く」で読み間違いに気がついた。途端に思い出したのが、内輪の話で恐縮だけれど、辻征夫(貨物船)が最後となった余白句会に提出した迷句「稲妻やあひかったとみんないふ」である。このときに、井川博年(騒々子)憮然として曰く。「これが問題でした。これなんだと思いますか。大半のひとはこれを『た』が抜けているけど、きっと『逢いたかった』のだと読んだ。騒々子一発でわかりました。これは『あっ、光った』なんですね。実にくだらない。……」。同様に、風生の掲句も実にくだらない。今となっては、御両人の句作の真意は確かめようもないけれど、とくに風生にあっては、このくだらなさは意図的なものと思われる。確信犯である。一言で言えば、とりすました現今の俳句に対する反発が、こういう稚拙を装った表現に込められているのだと、私は確信する。おすまし俳句に飽き飽きした風生が、句の背後でにやりとしている様子が透いて見えるようだ。辻は、この句を知っていたろうか。『新日本大歳時記・冬』(1999)所載。(清水哲男)


April 2242003

 《蝶来タレリ!》韃靼ノ兵ドヨメキヌ

                           辻貨物船

まどき「韃靼(だったん)ノ兵」と言ってもリアリティはないけれど、かつての韃靼兵(モンゴル兵)は勇猛果敢をもって天下に鳴り響いていた。いや、勇猛果敢というよりも残虐非道性で群を抜いており、ヨーロッパ人は彼らを地獄(タルタルス)からの使者とみなして怖れたという。すなわち、韃靼は「タルタル、タタール」の音訳だ。そんな怖れを知らぬ地獄の軍団が、一匹の蝶の出現にどよめいたというのである。暴力装置として徹底的に鍛え抜かれた荒くれ男どもにも、こんなに柔らかい心が残っているのだと言ってみせたところが、いかにも抒情詩人・辻征夫(俳号「貨物船」)らしい。カタカナ表記にしたのは、読者に漢文の読み下し文を想起させ、遠い歴史の一齣であることを暗示したかったのだろう。掲句は、言うまでもなく安西冬衛の次の一行詩「春」を踏まえたものだ。「てふてふが一匹韃靼海峡を渡つて行つた」。このことについては、小沢信男が簡潔に書いているので引用しておく。「颯爽たる昭和モダニズムの記念塔。現代詩の辺境をひらいた先達へ、ざっと七十年をへだてて世紀末の平成から、はるかに送るエール。その挨拶のこころこそが、俳諧に通じるのではないか」。なお、この句は萩原朔太郎賞受賞記念として建てられた碑に刻まれている。朔太郎ゆかりの広瀬川河畔(前橋文学館前)に、細長く立っている。「広瀬川白く流れたり/時さればみな幻想は消えゆかん。……」(朔太郎)。『貨物船句集』(2001・書肆山田)所収。(清水哲男)


November 01112003

 鵯や紅玉紫玉食みこぼし

                           川端茅舎

語は「鵯(ひよどり)」で秋。鳴き声といい飛び回る様子といい、まことにちょこまかとしていて、かまびすしい。そのせわしなさを「食(は)みこぼし」と、たったの五文字で活写したところに舌を巻く。鳴き声にも飛び方にも触れていないが、鵯の生態が見事に浮き上がってくる。しかも「食みこぼし」ているのは「紅玉紫玉」と、秋たけなわの雰囲気をこれまた短い言葉で美しくも的確に伝えている。名句と言うべきだろう。「鵯」で思い出した。辻征夫(俳号・貨物船)との最後の余白句会(1999年10月)は新江戸川公園の集会所で開かれたが、よく晴れて窓を開け放っていたこともあって、騒々しいくらいの鳴き声だった。「今回の最大の話題は、身体の不自由さが増してきた辻征夫が、ぜひ出席したいと言ってきたことで、それならぜひ出席したい、と多田道太郎忙しい日程をこの日のために予定。当日はショートカットにして一段と美女となった有働さんと早くより辻を待つ。その辻、刻ぴったり奥さんと妹さんに支えられて現れる」(井川博年)。このときに辻は、例の「満月や大人になってもついてくる」を披露しているが、兼題の「鵯」では「鵯の鋭く鳴いて何もなし」を用意してきた。合評で「これは鵯じゃなくて百舌鳥だな」と誰かが言ったように、それはその通りだろう。よく生態を捉えるという意味では、掲句の作者に一日ならぬ三日くらいの長がある。が、まさかそのときに辻があと三ヵ月の命数を予感していたはずもないのだけれど、今となってはなんだか予感していたように思えてきて、私には掲句よりも心に染み入ってくる。辻に限らず、亡くなられてみると、その人の作品はまた違った色彩を帯びてくるようだ。『川端茅舎句集・復刻版』(1981)所収。(清水哲男)


January 1412004

 明け方の夢でもの食う寒さかな

                           辻貨物船

物船(詩人・辻征夫)にしては俳句になりすぎているような句だが、この味は捨てがたい。寒い日の明け方、意識は少し覚醒しかけていて、もう起きなければと思いつつ、しかしまだ蒲団をかぶっていたい。そのうちにまた少しトロトロと眠りに引き込まれ、空腹を覚えてきたのか、夢の中で何かを食べているというのである。誰もが思い当たる冬の朝まだきの一齣(ひとこま)だ。まことに極楽、しかしこの極楽状態は長くはつづかない。ほんの束の間だからこそ、句に哀れが滲む。いとおしいような人間存在が、理屈抜きに匂ってくる。物を食べる夢といえば、子供のころには日常的な飢えもあって、かなりよく見た。でも、せっかくのご馳走を前にして、やれ嬉しやと食べようとしたところで、必ず目が覚めた。なんだ夢かと、いつも落胆した。だから大人になっても夢では食べられないと思っていたのだが、あれは何歳くらいのときだったろうか。なんと、夢で何かがちゃんと食べられたのだった。何を食べたのかは起きてすぐに忘れたけれど、そのもの本来の味もきちんとあった。それもいまは夢の中だという自覚があって、しかも食べられたのである。感動したというよりも、びっくりしてしまった。これはおそらく、もはやガツガツとしなくなった年齢的身体的な余裕が、かえって幸いしたのだろうと思ったことだが、どうなんだかよくはわからない。その後も、二三度そういうことが起きた。ところで、今日一月十四日は作者・辻征夫の命日だ。彼が逝って、もう四年にもなるのだ。辻よ、そっちも寒いか。『貨物船句集』(2001・書肆山田)所収。(清水哲男)


October 25102004

 廃校の下駄箱ばけつ秋桜

                           辻貨物船

語は「秋桜」。コスモスのこと。私は秋桜という命名を、イメージ的に違和感があるので好まないが、ま、いいでしょう。先日、福井県大野市の小学校で子供たちとの詩の集いがあり、出かけてきた。新しく建て直したと思われる校舎は立派だったが、比べて児童の少なさには驚いた。入り口の「下駄箱」を見たら、ぱらぱらっとしか靴が入っていない。広い運動場では体育の授業中だったけれど、そこもぱらぱらっなのである。集いには市内五つの学校の6年生(一部5年生を含む)全員が集まり、それでも80人ほどなのだから過疎化は確実に進行していると思われた。昨年のちょうどいまごろ、郷里の山口県の村を訪れたところ、我が母校は過疎の波に抗しきれずに「廃校」になっていたのを思い出し、その過程では大野の学校のような時期もあったろうと、気持ちが沈み込んだことである。掲句は決して上手とは言えないが、詩人・辻征夫(「貨物船」は俳号)が学校を想うというときに、何をもって郷愁の手がかりにしていたかがわかって興味深い。「下駄箱」は子供らのにぎやかさの象徴であり、「ばけつ」は義務づけられた作業のそれであり、そして「秋桜」はみんなを取り巻いていた環境のそれだろう。廃校となってしまった学校の跡には、いまはただコスモスが生えるに任せて雑草のように繁っていて、秋風に揺れているばかりなのだ。このときの詩人には、もはや幻となった下駄箱やばけつが淋しく見えていたに違いない。『貨物船句集』(2001)所収。(清水哲男)


January 1412005

 熱燗や子の耳朶をちょとつまむ

                           辻貨物船

語は「熱燗(あつかん)」で冬。今日は五年前に逝った辻征夫の命日、私は彼の俳号から勝手に「貨物船忌」と呼んでいる。彼の詩にもよく子供が出てくるが、問わず語りに娘さんの話をすることも多かった。子煩悩だったと言ってよいだろう。最後になった写真には、亡くなる直前に成人式を迎えた晴れ着の娘さんと並んで写っている。成人式がそれまでの一月十五日ではなく、第二月曜日に移動したおかげで、彼は「耳朶(みみたぶ)を」つまんだ「子」の晴れ姿を見ることができたのだった。世の中、何がどう幸いするかわからない。以下に少し長くなりますが、没後二年目の命日に出た『ゴーシュの肖像』(書肆山田)への私の感想を載せておきます。・・・「二年前に急逝した詩人が、折りに触れて書いた散文を集めた本だ。めったにやらなかった講演の記録も、いくつか納められている。/早すぎた詩人の晩年を、私は共に飲み、句会などで共に遊んだ仲である。読んでいると、いろいろなことが思い出される。けれども、不思議に悲しくはならない。おそらく、それは辻征夫の文体の持つ力によるものだろう。そう、合点できた。文体は生き方の反映だ。/詳しくは書かないが、彼は治癒不可能といわれた難病にとりつかれていたのに、文章の上でも日常でも、一言も弱音を吐くことはなかった。だんだん身はひょろひょろと立ちゆかないのに、ひょうひょうとしていた。いつだって、微笑していた。本書を読んでわかったことは、それが単なるやせ我慢から来ているものでは、断固としてないということだ。/集中に「手にてなすこと」と題された短文がある。中原中也の名篇「朝の歌」の冒頭の詩に触れ、「みな何ごとかに従事して、生計を立てている」ことへの思いを述べた一文だ。辻は中也のように親からの仕送りで生きるわけにもいかず、「私は手を使いどおしだった」と書く。ここには、ごく普通の生活者の生き方がある。辻のような才能溢れる詩人でも、満員電車に揺られて生きていかねばならない。それが、世間というものではないか。誰だって、仕方ないなとあきらめている……。/しかし、満員電車に揺られながらも、次のように言えるのが、辻征夫なのだ。「では労働と詩は両立するのか。私は根本のところでしないと考えている。私の全作品を眼の前に置かれても、首を横に振る」。/この一言が、辻征夫の真骨頂である。かくのごとき過激な物言いは、生半可な詩への愛情から生まれるものではない。十五歳にして詩の魅力にとりつかれ、詩を心から愛した男の、これは真実の苦しみの告白と言ってよい。文体の強さ明るさの秘密は、この生涯の苦しみの土台の上にある」。合掌。句は『貨物船句集』(2001・書肆山田)所収。(清水哲男)


April 1642005

 野に出でよ見わたすかぎり春の風

                           辻貨物船

語は「春の風」。句意は明瞭だから、解説の必要はないだろう。気持ちのよい句だ。こういう句を読むにつけ、つくづく作者(詩人・辻征夫)は都会っ子だったのだなあと思う。幼い頃に短期間三宅島に暮らしたことはあるそうだが、まあ根っからの下町っ子と言ってよい雰囲気を持っていた。私の交遊範囲で、彼ほどの浅草好きは他には見当たらない。掲句の「野に出でよ」は「野に出て遊ぼうよ」の意だから、私のような田舎育ちには意味はわかっても、素直には口に出せないようなところがある。野に暮らして野に出るといえば、どうしても野で働くほうのイメージが勝ってしまうからだ。島崎藤村の詩「朝」のように、野はぴったりと労働に貼り付いていた。「野に出でよ 野に出でよ/稲の穂は黄に実りたり/草鞋(わらじ)とくゆえ 鎌を取れ/風にいななく 馬もやれ」と、こんな具合にだ。逆に、かつて寺山修司がアンドレ・ジッドの口まねをして「書を捨てて、街に出よう」と言ったときには、わかるなあと思った。こちらは、どう考えても田舎育ちの発想である。すさまじいまでの街への憧れを一度も抱いたことのない者には、それこそ意味は理解できるとしても、心の奥底のほうでは遂にぴったりと来ないのではなかろうか。育った環境とは、まことに雄弁なものである。『貨物船句集』(2001・書肆山田)所収。(清水哲男)


June 2362005

 噛めば苦そうな不味そうな蛍かな

                           辻貨物船

語は「蛍」で夏。たしかにねえ、そんな気はするけどね。作者の辻征夫(「貨物船」は俳号)にゲテモノ食いの趣味はなかったはずだから、この発想はどこから出てきたのだろうか。句会の兼題に「蛍」が出て困り果て、窮余の一策で新奇な句をねらったのかもしれないが、それにしても蛍を噛むとは尋常じゃない。でも、人間は長い歴史の中でたいていのものは口に入れてきただろうから、蛍だって実際に食べてみた奴がいたとは思う。あんなに目立つうえに採取しやすい虫が、貪欲な人間の標的にならなかったはずはないからだ。そのときの様子を想像することは、それこそ私の趣味じゃないので止めておくけれど、少なくとも掲句の作者はちらりとは噛んだ感じを想像したに違いない。たとえ軽い冗談のような気持ちでの作句だったにせよ、物を表現するとはそういうことだ。ほんのちっぽけな思いつきにもせよ、発想者は発想の自己責任を取らされてしまうのである。で、作者は想像のなかで吐き出した。変なことを思いついちゃったなと、苦い表情の作者が目に浮かぶ。蛍よりもイメージ的にはマシな「薔薇」を食べてみたのは、これまた詩人の吉原幸子だった。実際に花びらを味わおうとして食べたのだそうだが、「あんなもの、不味くて不味くて……」とチョー不愉快そうな顔つきで話してくれたっけ。そのときのことは彼女のエッセイにもあるはずだが、私は話だけで十分だったので読んでいない。『貨物船句集』(2001)所収。(清水哲男)


April 0942006

 駝鳥来て春の団子をひとつ食う

                           辻貨物船

ポキ
らしい楽しい句はないかと探していたら、灯台下暗し、辻征夫の句集に掲句が載っていた。この「駝鳥(だちょう)」、なんとなく宮崎駿の描いた三鷹市のキャラクター「ポキ」(図版参照)を連想させてくれる。ただし、「ポキ」よりも辻の「駝鳥」句のほうが先だ。また「ポキ」が駝鳥なのかどうかは、似ているけれどわからない。そんなことはともかく、春の午後あたりだろうか、どこからか駝鳥がのこのことやってきて、何故かそこに置いてあった「団子」をひとつだけぱくっと食べたよ、というのである。食べた後で、大きな目玉をくるくるっとまわしてから、またもと来た方向に戻っていったような気がする。こういう可愛らしくも茫洋とした情景を描くには、普段からこうした世界で遊びなれていないと、いきなり付け焼き刃での作句は難しいだろう。詩人・辻征夫の内面には、たしかにこういう茶目っ気に近い世界があった。この駝鳥は、だからほとんど「ポキ」と同じような想像上の鳥なのであって、いちおう「駝鳥」とは書いてあるけれど、詩人の頭のなかでは、実物をかなりデフォルメした姿で動いていたにちがいない。このような、いわば童心の発露みたいな瑞々しい句の作り手が、現代のどこかにいないものだろうか。『貨物船句集』(2001)所収。(清水哲男)


January 1412007

 人参は赤い大根は白い遠い山

                           辻貨物船

物船忌、1月14日です。新聞記事で辻征夫さんの死亡を知り、急ぎ通夜に向かった日のことを思い出します。もう7年も前のことになります。辻さんとは若いころに、詩の雑誌の投稿欄の選者として、一年間ご一緒したことがあります。投稿の選評が終わった後に、小さな雑誌社の扉を開け、夜の中にすっくと立つ背筋の伸びた辻さんの姿を、今でも思い出します。「貨物船」から降ろされた多くのすぐれた詩は、深い情愛に満ちたものばかりでした。隙(すき)のない詩や小説の「余白」に書き付けられたであろう俳句は、しあわせに力の抜けた場所での創作だったのでしょう。掲句、冬の清新な空気と、ほっとする心持を読むものに与えてくれるものであります。人参、大根ともに、旬の冬が季語です。手元には、細かく切り刻み、酢であえた膾(なます)が、ひざの前に置かれています。その膾へ、そっと差し出す箸の動きを想像します。箸の先には実生活と格闘する辻さんがいて、片手にはウイスキーのコップを持っています。ウイスキーを飲みながら見つめる先には、「創作」の遠い山が見えていたのでしょうか。酔った口からいくらでも出てくる文学談を、若かったわたしは、目を輝かせて聞いていたのでした。「松下君、詩もいいけど、俳句というものも、すごいよ」。辻さんの声が今でも、すぐ近くから聞こえてくるようです。『貨物船句集』(2001)所収。(松下育男)


January 2012008

 冬の雨下駄箱にある父の下駄

                           辻貨物船

関脇の、靴を収納する場所を今でも「下駄箱」というのだなと、この句を読みながら思いました。わたしが子供の頃には、それでも下駄が何足か下駄箱の中に納まっていました。けれど、マンションに「下駄箱」とは、どうにも名称がしっくりいきません。下駄というと、「鼻緒をすげる」というきれいな日本語を思い浮かべます。「すげる」というのは「挿げる」と書いて、「ほぞなどにはめ込む」という意味です。「ほぞ」という言葉も、なかなか美しくて好きです。さて掲句、たえまなく降り続く冬の雨から、玄関の引き戸を開けて、視線は薄暗い下駄箱に向かいます。その一番上の棚に、父親の大きな下駄がきちんと置かれています。寒い湿気が玄関の中に満ち、しっとりとした雰囲気を感じることができます。句は、父の下駄が下駄箱の中にあると、そこまでしか言っていません。しかしわたしにはこれが、「父の不在」を暗示しているように読めてしまいます。勝手な想像ですが、この家の主はもう亡くなっているのかもしれません。それでも日々履いていた下駄だけは、下駄箱のいつもの場所に置いておきたいという思いが込められているように感じるのです。この世の玄関に、その人がふっともどってきたときに、すぐに取り出せるように。『新選俳句歳時記』(1999・潮出版社)所載。(松下育男)


February 0622008

 転がりしバケツ冷たき二月かな

                           辻貨物船

の句は貨物船(征夫の俳号)の句のなかで、けっして上出来というわけではない。けれども、いかにも貨物船らしい無造作な手つきが生きている句で、私には捨てがたい。「冷たき」と「二月」はつき過ぎ、などと人は指摘するかもしれない。しかし、寒さをひきずりつつも二月には、二月の響きには、もう春の気配がすでにふくらんできている。厳寒を過ぎて、春に向かいつつある陽気のなかで、ふと目にしたのが、そこいらに無造作に転がっているバケツである。じかにさわってみなくても、バケツに残る冷たさは十分に感じられるのである。「バケツ」という名称も含めてまだ冷たく寒々しい。バケツを眺めている作者の心のどこかにも、何かしら寒々としたものが残っていて、両者は冷たい二月を共有しているのであろう。同じ光景を、俳人ならば、もっと気のきいた詠み方をするのかもしれない。無造作に見たままを詠んだところにこそ、貨物船俳句の味わいが生まれている。掲出句の前と後には「大バケツかかえて今日のおぼろかな」と「新しきバケツに跳ねる春の魚」という句がそれぞれはべっている。私たちの生活空間から次第に姿を消しつつある金属バケツ、その姿かたちと響きとが甦る如月二月はもう春である。蛇足ながら、『貨物船句集』には切れ字「かな」を用いた句が目立つ。226句のうち43句である。つまり5.3句に1句の「かな」ということになる。それらは屈託ない世界の響きを残す。『貨物船句集』(2001)所収。(八木忠栄)




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