昨年正月に急逝した伊藤聚さんの「一年祭」。葬祭でしかなかなか友人知己に会えない我が年齢。




2000ソスN1ソスソス29ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

January 2912000

 無礼なる妻よ毎日馬鹿げたるものを食わしむ

                           橋本夢道

性読者よ、お怒りめさるな。奥さんとの仲はとてもよかったというのが、作者を知る人たちの一致した弁。句は、妻へのいたわりの反語的表現なのだ。「馬鹿なやつめ」が、愛情表現の反語に通じているのと同じこと。毎日の食卓に気の利いた料理ひとつ出せない貧乏生活を、妻に強いている自責の念が込められている。近代俳句の社会派を代表する夢道は、俳句弾圧事件のために、約二年間の獄中生活を余儀なくされた。代表作の一つ「大戦起るこの日のために獄をたまわる」(1941)は、すさまじいまでの反語表現による抵抗句だ。徳島県吉野川流域の小作農家に生まれ(1903)、十五歳で上京して深川の肥料問屋に奉公。その後いくたびか職をかえ、戦後は銀座月ヶ瀬の役員となった。で、ここで再度女性読者にアピールしたいことがある。何を隠そう。実は、この人は「蜜豆(あん蜜)」を発明し、世間に知らしめた一大功労者なのだ。はじめて蜜豆を売りだしたときのコピーに「蜜豆はギリシャの神も知らざりき」と書いて、これが評判となり、売れ行きが大いに伸びたという話が伝わっている。俳句の世界では自由律の権化のように思われている夢道だが、五・七・五の魅力はちゃあんと承知していたというわけだ。『無礼なる妻』(1954)所収。(清水哲男)


January 2812000

 寒鴉己が影の上におりたちぬ

                           芝不器男

鴉(かんがらす)は、冬のカラス。「己」は「し」、「上」は「へ」と読む。針の穴をも通す絶妙のコントロール。そんな比喩さえ使いたくなるほどの名句だ。この季節のカラスの動きを、ぴたりと言い当てている。空にあったカラスが、自分の影に吸い寄せられるように降りてきた。それだけのことだが、静止画ではなく、いわば動画をここまで活写していることに、一度でも句作経験のある人ならば、口あんぐりと言うところだろう。「やられた」というよりも「まいりました」という心が、素直にわいてきてしまう。作られたのは1927年(昭和二年)、作者はわずかに25歳だった。昔のカラスは、いまのようにごみ捨て場を漁ったりはしなかった。というよりも、ごみ捨て場には、いまのようにエサとなるようなものは少なかった。だから、エサを求める冬場のカラスは、直接に魚屋や八百屋の店先までをも襲ったという。となれば、人々の感覚としては、昔のカラスのほうが、よほど凶暴にして不吉に思えていたにちがいない。そんなカラスが、いましもさあっと舞い降りてきたのだ。しかも、おのれの影の上にしっかりと……。存在感も抜群だ。この後、カラスはどう動くのだろうか。『麦車』(ふらんす堂文庫・1992)所収。(清水哲男)


January 2712000

 狐着て狸のごとく待ちをりぬ

                           岡田史乃

も狸も冬の季語。句の場合は、表に現れているのが狐であり、狸は心理的な産物なので、いわゆる季重なりではないと見たい。当歳時記では「襟巻」に分類した。さて、作者は狐の襟巻きをして、人を待っている。でも、待っている心持ちは狸のようだと言うのである。狐は人を「化かし」、狸は自分で「化ける」。だから、作者の気分は、これから会う人を「化かす」というのではなくて、「化けて」待っているというわけだ。めったにしない狐の襟巻きなので、自然にそんな気持ちになっている。心理的にもそうだし、首筋や肩のあたりの触感も、狸みたいな気分に加わっている。「くくっ」と一人笑いももれているようだ。最近は、とんと狐の襟巻き姿にお目にかからない。持っている人はあっても、動物愛護団体などの目が気になって、着て歩く勇気が出ないこともあるのだろうか。それとも、もうファッションとして時代遅れということなのか。面白いもので、そんな襟巻き姿の女性を見かけると、必ず反射的に、狐とご当人の顔とを見比べたものだった。見比べて、べつに何を思うというのではなく、同じ場所に顔が二つあることへの、軽いショックからだったのだろう。我が家にも、母の狐があった。しかし、母がして出かける姿を一度も見たことはない。そんなご時世じゃなかった。蛇足ながら「狐の手袋」はジキタリスの別称。『ぽつぺん』(1998)所収。(清水哲男)




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