「神隠し」とも言うべき事件が明るみに。生きながら消えている人は他にもたくさんいるだろう。




2000ソスN1ソスソス30ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

January 3012000

 狼の声そろふなり雪のくれ

                           内藤丈草

藤丈草(1662-1704)は尾張犬山藩士、のちに出家した人。蕉門。もう一度、心をしずめて読み返していただきたい。げにも恐ろしき光景。心胆が縮み上がるようだ。狼の姿は見えないが、見えないだけに、恐怖感がつのる。しかも、外はふりしきる雪。そして、日没も間近い薄暗さ。あちらこちらから間遠に聞こえてきていた鳴き声が、ほぼ一所にそろった。「さあ、里にやってくるぞ」と、作者は恐怖のうちに身構えている。三百数十年前のこの国では、狼がこのように出没していたことが知れる。冬場にエサを求めて里にやってくるのは、カラスなどと一緒だ。句は、柴田宵曲『新編・俳諧博物誌』(岩波文庫・緑106-4)で知った。宵曲は「狼の声の何たるかを知らぬわれわれでも、この句を読むと、丈艸の実感を通して寒気を感ずるほど、身に迫る内容を持っている」と、書いている。「声そろふ」で、きっちりと焦点が定まっているからだ。このように、昔は人と狼との距離は近かった。「送り狼」という言葉が残されているほどに……。「日本における人と狼との間には、慥(たしか)に他の野獣と異ったものがあるので、人対獣の交渉というよりもむしろ人対人の交渉に近い」と、宵曲は書いている。(清水哲男)


January 2912000

 無礼なる妻よ毎日馬鹿げたるものを食わしむ

                           橋本夢道

性読者よ、お怒りめさるな。奥さんとの仲はとてもよかったというのが、作者を知る人たちの一致した弁。句は、妻へのいたわりの反語的表現なのだ。「馬鹿なやつめ」が、愛情表現の反語に通じているのと同じこと。毎日の食卓に気の利いた料理ひとつ出せない貧乏生活を、妻に強いている自責の念が込められている。近代俳句の社会派を代表する夢道は、俳句弾圧事件のために、約二年間の獄中生活を余儀なくされた。代表作の一つ「大戦起るこの日のために獄をたまわる」(1941)は、すさまじいまでの反語表現による抵抗句だ。徳島県吉野川流域の小作農家に生まれ(1903)、十五歳で上京して深川の肥料問屋に奉公。その後いくたびか職をかえ、戦後は銀座月ヶ瀬の役員となった。で、ここで再度女性読者にアピールしたいことがある。何を隠そう。実は、この人は「蜜豆(あん蜜)」を発明し、世間に知らしめた一大功労者なのだ。はじめて蜜豆を売りだしたときのコピーに「蜜豆はギリシャの神も知らざりき」と書いて、これが評判となり、売れ行きが大いに伸びたという話が伝わっている。俳句の世界では自由律の権化のように思われている夢道だが、五・七・五の魅力はちゃあんと承知していたというわけだ。『無礼なる妻』(1954)所収。(清水哲男)


January 2812000

 寒鴉己が影の上におりたちぬ

                           芝不器男

鴉(かんがらす)は、冬のカラス。「己」は「し」、「上」は「へ」と読む。針の穴をも通す絶妙のコントロール。そんな比喩さえ使いたくなるほどの名句だ。この季節のカラスの動きを、ぴたりと言い当てている。空にあったカラスが、自分の影に吸い寄せられるように降りてきた。それだけのことだが、静止画ではなく、いわば動画をここまで活写していることに、一度でも句作経験のある人ならば、口あんぐりと言うところだろう。「やられた」というよりも「まいりました」という心が、素直にわいてきてしまう。作られたのは1927年(昭和二年)、作者はわずかに25歳だった。昔のカラスは、いまのようにごみ捨て場を漁ったりはしなかった。というよりも、ごみ捨て場には、いまのようにエサとなるようなものは少なかった。だから、エサを求める冬場のカラスは、直接に魚屋や八百屋の店先までをも襲ったという。となれば、人々の感覚としては、昔のカラスのほうが、よほど凶暴にして不吉に思えていたにちがいない。そんなカラスが、いましもさあっと舞い降りてきたのだ。しかも、おのれの影の上にしっかりと……。存在感も抜群だ。この後、カラスはどう動くのだろうか。『麦車』(ふらんす堂文庫・1992)所収。(清水哲男)




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