謹賀新春。子供時代に旧正月を祝う家があったのを微かに覚えている。明治生まれが健在だった頃。




2000ソスN2ソスソス5ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

February 0522000

 音立てて鉄扉下り来る雛の前

                           岡本 眸

の人形店。通りがかりの作者が足をとめて眺めていると、急にシャッターが下りはじめた。店じまいの時間なのだ。それはそれで止むをえないことながら、「もう少し見ていたいのに」という思いが容赦なく瞬く間に断ち切られていく。句集の前後の句からすると、このときの作者は退院したてだったようだ。だから、病院で検査を受けた帰途の出来事かもしれない。身も心も弱っているときの、この断絶感にはまいるだろう。元気な身だったら、句はおそらく生まれなかったと思う。気弱く足取りも弱く、店先を離れていく作者の姿が目に見えるようだ。どこか、人間という生きものへの「いとおしさ」を感じさせる一句である。雛(ひな)人形自体への哀しみを詠んだ句は多いけれど、こうしたテーマでの扱いは珍しい。下りてきた鉄扉の向こう側に残る人形の残像。おほろげではありながら、しかし、くっきりと鮮やかである。そこには、何の矛盾もない。『朝』(1971)所収。(清水哲男)


February 0422000

 年の内に春立つといふ古歌のまま

                           富安風生

春。ところが、陰暦では今日が大晦日。暦の上では冬である年内に春が来たことになり、これを「年内立春」と言った。蕪村に「年の内の春ゆゆしきよ古暦」があり、暦にこだわれば、なるほど「ゆゆしき」事態ではある。陰暦の一年は、ふつう三五四日だから、立春は暦のずれにより十二月十五日から一月十五日の間を移動する。そのあたりのことを昔の人は面白いと思い、芭蕉も一茶も「年内立春」を詠んでいる。したがって、陽暦時代に入ってから(1872)の俳句にはほとんど見られない季題だ。風生はふと思い当たって、掲句をつぶやいてみたのだろう。「古歌」とは、言うまでもなく『古今集』巻頭を飾る在原元方の「年の内に春は来にけりひととせを去年とやいはん今年とやいはん」だ。昨日までの一年を「去年(こぞ)」と言えばよいのか、いややはり暦通りに「今年」と呼べばよいのか。困っちゃったなアというわけで、子規が実にくだらない歌だと罵倒(『歌よみに与ふる書』)したことでも有名な一首である。事情は異るが、カレンダーに浮かれての当今の「ミレニアム」句を子規が読んだとしたら、何と言っただろう。少なくとも、肩を持つような物言いはしないはずである。(清水哲男)


February 0322000

 わがこゑののこれる耳や福は内

                           飯田蛇笏

ぎれもない自分の声なのに、いつまでも耳について離れない。日常的にこういうことが起きてはたまらないが、たまさか大声を出したりすると、こういうことになる。ラジオの仕事でも、無理に声を作ったりした場合に、やはり「のこれる耳」を感じる。豆撒きから声の不思議を抽出した蛇笏の鋭さ、面白さ。作句時の心情を想像するに、下五を「福は内」にするか「鬼は外」で押さえようかと、一瞬迷っただろう。どちらでもそれなりに収まりはするけれど、ここは「のこれる」だから「内」を採ったのだと思う。神社などでの豆撒きイベントは盛んだが、家庭でのそれは廃れてきたような気がする。我が家でも、子供が小さかったころはともかく、いつの間にかやめてしまった。どうかすると、煎り豆すら用意しない年もある。近所からも、撒く声はとんと聞こえてこない。「悪鬼」という幻想が単純すぎて、複雑な時代にあわなくなってきたせいだろうか。ところで、今夜食べきれずに残った煎り豆を、そのままご飯に炊き込むと美味いという話を聞いた。料理評論家がラジオで言ったので、間違いはないと思いますが……。(清水哲男)




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