マスコミの被疑者実名報道。晒し者にして天に代わって不義を打つ。この思い上がりが許せない。




2000ソスN2ソスソス6ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

February 0622000

 春の夕焼背番「16」の子がふたり

                           ねじめ正也

まり詠まれないが、「春の夕焼」はれっきとした季語。古人は、その柔らかい感じを愛でたのだろう。句は、子供らが暗くなるまで原っぱで遊んでいた戦後の光景だ。通りがかった(たぶん、自転車で)作者は、微笑して子供の野球を眺めている。私にも覚えがある。みんなのユニフォームはばらばらだ。それぞれが、好きなチームの好きな選手の背番号をつけて着ている。野球好きが見れば「ああ、あの子は巨人ファンだな」とわかり、背番号で誰のファンかもわかる。子供は、すっかりその選手になりきってプレイしているのので、それがまた見ていて楽しい。このときには「16」が二人いた。言わずと知れた「打撃の神様」川上哲治一塁手(巨人)の背番号だ。後に長嶋茂雄三塁手(巨人)の「3」などでも、このようなことは起きたけれど、川上時代ほどではなかったように思う。なにしろ、銭湯の下駄箱の番号でも、常に「16」は取り合いだったのだから……。テレビで野球を見られるようになって以降、背番号の重要度は希薄になってしまった。選手を覚えるのに背番号なんて面倒くさいものよりも、直接「顔」や「姿」で覚えられるからである。いつしか、私も背番号を覚えようとはしなくなった。今季の長嶋監督は、私などの世代には狂おしいほどに懐しい「3」をつける。でも、それで気張っているのは長嶋さん当人と我々オールド・ファンくらいのもので、選手を含めた若者たちは何も感じはしないだろう。ここらへんにも、今の巨人戦略の時代錯誤的脆弱さが露出している。『蝿取リボン』(1991)所収。(清水哲男)


February 0522000

 音立てて鉄扉下り来る雛の前

                           岡本 眸

の人形店。通りがかりの作者が足をとめて眺めていると、急にシャッターが下りはじめた。店じまいの時間なのだ。それはそれで止むをえないことながら、「もう少し見ていたいのに」という思いが容赦なく瞬く間に断ち切られていく。句集の前後の句からすると、このときの作者は退院したてだったようだ。だから、病院で検査を受けた帰途の出来事かもしれない。身も心も弱っているときの、この断絶感にはまいるだろう。元気な身だったら、句はおそらく生まれなかったと思う。気弱く足取りも弱く、店先を離れていく作者の姿が目に見えるようだ。どこか、人間という生きものへの「いとおしさ」を感じさせる一句である。雛(ひな)人形自体への哀しみを詠んだ句は多いけれど、こうしたテーマでの扱いは珍しい。下りてきた鉄扉の向こう側に残る人形の残像。おほろげではありながら、しかし、くっきりと鮮やかである。そこには、何の矛盾もない。『朝』(1971)所収。(清水哲男)


February 0422000

 年の内に春立つといふ古歌のまま

                           富安風生

春。ところが、陰暦では今日が大晦日。暦の上では冬である年内に春が来たことになり、これを「年内立春」と言った。蕪村に「年の内の春ゆゆしきよ古暦」があり、暦にこだわれば、なるほど「ゆゆしき」事態ではある。陰暦の一年は、ふつう三五四日だから、立春は暦のずれにより十二月十五日から一月十五日の間を移動する。そのあたりのことを昔の人は面白いと思い、芭蕉も一茶も「年内立春」を詠んでいる。したがって、陽暦時代に入ってから(1872)の俳句にはほとんど見られない季題だ。風生はふと思い当たって、掲句をつぶやいてみたのだろう。「古歌」とは、言うまでもなく『古今集』巻頭を飾る在原元方の「年の内に春は来にけりひととせを去年とやいはん今年とやいはん」だ。昨日までの一年を「去年(こぞ)」と言えばよいのか、いややはり暦通りに「今年」と呼べばよいのか。困っちゃったなアというわけで、子規が実にくだらない歌だと罵倒(『歌よみに与ふる書』)したことでも有名な一首である。事情は異るが、カレンダーに浮かれての当今の「ミレニアム」句を子規が読んだとしたら、何と言っただろう。少なくとも、肩を持つような物言いはしないはずである。(清水哲男)




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