身辺で訃報がつづく。若き日の結婚式ラッシュにもまいったけれど……。心の内で御祓いをする。




2000ソスN2ソスソス8ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

February 0822000

 梅固し女工米研ぐ夜更けては

                           飴山 實

集の一つ前の句に「貯炭場に綿入れ赤し鉱区萌え」がある。作句は1955年(昭和三十年)、戦後十年目の早春だ。まだ「女工」という言葉が生きていた。当時の私は高校生、父が働いていた花火工場の寮に住んでいたので、この哀感はよく理解できる。朝早くから夜遅くまで働きづめに働いて、ようやく寮に戻ってくると、今度は自分の食事のための労働が待っていた。電気炊飯器などはない時代だから、冷たい水で米を研ぎ、火を起こして炊かなければならない。コンビニで簡単に弁当が買える今の環境とは大違いだ。「女工」たちは、多くが中学を卒業したばかりくらいの年齢だった。「梅固し」は、そんな蕾のような少女の姿を彷彿とさせている。貧しい農村や漁村から、集団就職で鉱区はもとよりいろいろな工場に働きに出た少年少女の数は膨大だった。「金の卵」とおだてられもしたが、要するに安い労働力として使われていたわけで、遊びたい盛りの彼らの心情はいかばかりだったろう。こうした人々の苦しい労働の結集があって、はじめてこの国の基盤が築かれたことを忘れてはならない。もはや高齢となった「金の卵」たちは、いまこの国に何を思って生きているのか。『おりいぶ』(1959)所収。(清水哲男)


February 0722000

 東風吹かばポテトチップス歩み来る

                           小枝恵美子

風(こち)には「荒東風」という言い方もあるように、春先に吹くやや荒い風のことだ。「春風」の駘蕩とした柔らかさは、まだない。が、冬の間の北風が東からの風に変わってきただけでも、春本番も間近と思えて、気分はなごんでくる。そんな嬉しさのなかで、掲句は発想された。まさか「ポテトチップス」が歩いて来るわけもないけれど、あのシャワシャワとざわめくような感触が、よく「東風」の体感とつり合っている。リズムも軽快で、理屈抜きに楽しい句だ。「ポテトチップス」は季節を問わない食べ物ではあるが、こう詠まれてみると、早春にいちばん似合う菓子だと思えてくるから不思議な気もする。作者の感覚の勝利である。この種の句は、たくらんだり推敲を重ねたりして出来るものではないだろう。その時その場の感覚の瞬発力で、それこそ理屈抜きに書きとめてしまう必要がある。このように、俳句にはとっさの感応に呼応する受け皿も、伝統的にちゃんと用意されており、そこが常に構築を要求する(かのような)他ジャンルの文芸とは大いに違うところだ。詩の書き手としては、妬ましくもうらやましいと言っておくしかない。『ポケット』(1999)所収。(清水哲男)


February 0622000

 春の夕焼背番「16」の子がふたり

                           ねじめ正也

まり詠まれないが、「春の夕焼」はれっきとした季語。古人は、その柔らかい感じを愛でたのだろう。句は、子供らが暗くなるまで原っぱで遊んでいた戦後の光景だ。通りがかった(たぶん、自転車で)作者は、微笑して子供の野球を眺めている。私にも覚えがある。みんなのユニフォームはばらばらだ。それぞれが、好きなチームの好きな選手の背番号をつけて着ている。野球好きが見れば「ああ、あの子は巨人ファンだな」とわかり、背番号で誰のファンかもわかる。子供は、すっかりその選手になりきってプレイしているのので、それがまた見ていて楽しい。このときには「16」が二人いた。言わずと知れた「打撃の神様」川上哲治一塁手(巨人)の背番号だ。後に長嶋茂雄三塁手(巨人)の「3」などでも、このようなことは起きたけれど、川上時代ほどではなかったように思う。なにしろ、銭湯の下駄箱の番号でも、常に「16」は取り合いだったのだから……。テレビで野球を見られるようになって以降、背番号の重要度は希薄になってしまった。選手を覚えるのに背番号なんて面倒くさいものよりも、直接「顔」や「姿」で覚えられるからである。いつしか、私も背番号を覚えようとはしなくなった。今季の長嶋監督は、私などの世代には狂おしいほどに懐しい「3」をつける。でも、それで気張っているのは長嶋さん当人と我々オールド・ファンくらいのもので、選手を含めた若者たちは何も感じはしないだろう。ここらへんにも、今の巨人戦略の時代錯誤的脆弱さが露出している。『蝿取リボン』(1991)所収。(清水哲男)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます