日販が巨額赤字。取引書店倒産のせいと言うが、書店の鼻面を金で引きずり回したせいじゃないの。




2000ソスN2ソスソス10ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

February 1022000

 風の日の麦踏遂にをらずなりぬ

                           高浜虚子

山の雪を背に、春の日差しを浴びながら麦を踏んでいる姿はいかにも早春らしい。たいがいの歳時記には、こんなふうに出てくる。見ているぶんには確かに牧歌的な光景であるが、踏んでいるほうは大変なのだ。ひたすらに「忍の一字」が要求される。地雷の撤去作業にも似て、細心の注意をはらっての一歩一歩が大切である。いい加減に踏んだのでは、たちまちにして根が浮き上がって株張りが悪くなり、収穫はおぼつかない。理屈としては子供にもできる仕事なのだが、いくら多忙でも、子供にまかせきるような農家はなかった。句は1932年(昭和七年)の作。添書きに「荻窪、女子大句会」とあるから、この麦畑は東京のそれだ。往時の荻窪や吉祥寺、三鷹あたりは、どこもかしこも麦畑だった。早春の関東の風は、ときに激烈をきわめる。土ぼこりのために空の色が変わる日も再三で、つい三十年ほど前までは、目を開けていられない状態におちいるのは普通のことだった。これでは、麦踏みの人も辛抱たまらずに撤退してしまうわけだ。気になって、虚子は女子大(「東京女子大」か)の窓からそんな光景を何度も見ていたのだろう。やっと引き上げていったので、ホッとしている。『五百句』(1937)所収。(清水哲男)


February 0922000

 ふくらんで四角薬屋の紙風船

                           小沢信男

ういえば、ありましたね。四角い紙風船。薬屋がおまけにくれた風船を、ふくらませてみたら四角だった。丸い風船のイメージがあったので、ちょっと意表を突かれたというところ。いかめしい感じの商売の薬屋だから、やっぱり風船もいかめしいや……。と、作者は心楽しくも腑に落ちている。そんな作者の納得顔が想像されて、もう一つ読者は楽しくなるという仕掛け。ところで、四角い紙風船はなかなか巧くつけない。どうかすると、とんでもない方角に飛んでいってしまう。不人気の理由である。そこへいくと、誰が発明したのか、丸い風船は実によくできている。形状の美しさもさることながら、ついているうちに内部の空気量が調節されるメカニズムの妙には、いつも驚かされてきた。寺田寅彦あたりに「紙風船論」はないのかしらん。ないのであれば、誰か専門家にぜひとも書いてほしいテーマである。「紙風船息吹き入れてかへしやる」(西村和子)。遊び道具を媒介にした、こうしたこまやかな心遣いの美学についても。『足の裏』(1998)所収。(清水哲男)


February 0822000

 梅固し女工米研ぐ夜更けては

                           飴山 實

集の一つ前の句に「貯炭場に綿入れ赤し鉱区萌え」がある。作句は1955年(昭和三十年)、戦後十年目の早春だ。まだ「女工」という言葉が生きていた。当時の私は高校生、父が働いていた花火工場の寮に住んでいたので、この哀感はよく理解できる。朝早くから夜遅くまで働きづめに働いて、ようやく寮に戻ってくると、今度は自分の食事のための労働が待っていた。電気炊飯器などはない時代だから、冷たい水で米を研ぎ、火を起こして炊かなければならない。コンビニで簡単に弁当が買える今の環境とは大違いだ。「女工」たちは、多くが中学を卒業したばかりくらいの年齢だった。「梅固し」は、そんな蕾のような少女の姿を彷彿とさせている。貧しい農村や漁村から、集団就職で鉱区はもとよりいろいろな工場に働きに出た少年少女の数は膨大だった。「金の卵」とおだてられもしたが、要するに安い労働力として使われていたわけで、遊びたい盛りの彼らの心情はいかばかりだったろう。こうした人々の苦しい労働の結集があって、はじめてこの国の基盤が築かれたことを忘れてはならない。もはや高齢となった「金の卵」たちは、いまこの国に何を思って生きているのか。『おりいぶ』(1959)所収。(清水哲男)




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