戦後しばらくは学校で祝日の式典があった。休みじゃなかった。「紀元節」の歌を歌った記憶も。




2000ソスN2ソスソス11ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

February 1122000

 旗日とやわが家に旗も父も無し

                           池田澄子

はや死語の感のある「旗日(はたび)」。広辞苑には「各家で国旗を掲げて祝う日。祝祭日」と書いてある。私のそれこそ「父」の世代の人々は、よく「旗日」という言葉を使っていた。戦前は今日の祝日を「紀元節」と言ったが、ことさらに「紀元節」とは呼ばずに、ただ「旗日」と言う人が多かったようだ。各家での国旗掲揚は義務づけられていたようなものだから、「とりあえず旗を出しとけや」と、そんなニュアンスも「旗日」という言葉にはあるようだ。作者はここで、とりあえずも何も、「旗日」と言い習わしていた父親も亡くなってしまったし、第一我が家には「旗」なんてないもんね、知らないもんねと嘯(うそぶ)いている。「旗」と「父」を同格に扱っているところに、皮肉がある。句の「旗日」は、特別に今日を指しているわけではない。が、いろいろな「旗日」のなかで、いちばん今日にふさわしい内容だと思う。嘯きのなかに、歴史的な根拠の無い祝日への怒りがこめられていると読める。わが家にも旗はない。買おうと思ったこともない。デパートでは風呂敷売り場に置いてあると聞いたことがあるが、本当なのだろうか。ご存知の方、ご教示乞う。『空の庭』(1988)所収。(清水哲男)


February 1022000

 風の日の麦踏遂にをらずなりぬ

                           高浜虚子

山の雪を背に、春の日差しを浴びながら麦を踏んでいる姿はいかにも早春らしい。たいがいの歳時記には、こんなふうに出てくる。見ているぶんには確かに牧歌的な光景であるが、踏んでいるほうは大変なのだ。ひたすらに「忍の一字」が要求される。地雷の撤去作業にも似て、細心の注意をはらっての一歩一歩が大切である。いい加減に踏んだのでは、たちまちにして根が浮き上がって株張りが悪くなり、収穫はおぼつかない。理屈としては子供にもできる仕事なのだが、いくら多忙でも、子供にまかせきるような農家はなかった。句は1932年(昭和七年)の作。添書きに「荻窪、女子大句会」とあるから、この麦畑は東京のそれだ。往時の荻窪や吉祥寺、三鷹あたりは、どこもかしこも麦畑だった。早春の関東の風は、ときに激烈をきわめる。土ぼこりのために空の色が変わる日も再三で、つい三十年ほど前までは、目を開けていられない状態におちいるのは普通のことだった。これでは、麦踏みの人も辛抱たまらずに撤退してしまうわけだ。気になって、虚子は女子大(「東京女子大」か)の窓からそんな光景を何度も見ていたのだろう。やっと引き上げていったので、ホッとしている。『五百句』(1937)所収。(清水哲男)


February 0922000

 ふくらんで四角薬屋の紙風船

                           小沢信男

ういえば、ありましたね。四角い紙風船。薬屋がおまけにくれた風船を、ふくらませてみたら四角だった。丸い風船のイメージがあったので、ちょっと意表を突かれたというところ。いかめしい感じの商売の薬屋だから、やっぱり風船もいかめしいや……。と、作者は心楽しくも腑に落ちている。そんな作者の納得顔が想像されて、もう一つ読者は楽しくなるという仕掛け。ところで、四角い紙風船はなかなか巧くつけない。どうかすると、とんでもない方角に飛んでいってしまう。不人気の理由である。そこへいくと、誰が発明したのか、丸い風船は実によくできている。形状の美しさもさることながら、ついているうちに内部の空気量が調節されるメカニズムの妙には、いつも驚かされてきた。寺田寅彦あたりに「紙風船論」はないのかしらん。ないのであれば、誰か専門家にぜひとも書いてほしいテーマである。「紙風船息吹き入れてかへしやる」(西村和子)。遊び道具を媒介にした、こうしたこまやかな心遣いの美学についても。『足の裏』(1998)所収。(清水哲男)




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