花粉症対策グッズなどと「グッズ」は今や常識語。しからば、goodとgoodsの因果関係や如何に。




2000ソスN2ソスソス12ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

February 1222000

 落椿天地ひつくり返りけり

                           野見山朱鳥

字「椿」は、実は漢字ではない。日本で作られたいわゆる「国字」という文字で、中国では通用せず、本当の漢字(ああ、ややこしい)での「椿」は「山茶」と書く。そんなことはどうでもよろしいが、句は椿の落ちている様子を大袈裟に描いていて面白い。たしかに、椿の落ちざまはこんなふうだ。天地がひっくりかえっちゃっていて「えらいこっちや」という感じ。その意味では、誇張した表現を得意とする「漢詩」に似ていなくもない。昔の人はごく普通に漢詩に親しんでいたので、俳句にもその影響を受けた作品はいくつもある。「天地」で思い出したが、私は長い間「天地無用」の意味を反対に解していた。よく荷物の外箱に書いてある。「天地」が「無用」なのだから、逆さまにしても構わない意味だと信じ込んでいたのだ。でも、そんな荷物に限って逆さまにはできない感じだったので、不思議なことを書くものよと、訝しく思ってはいたのだが……。それが大学生のころだったか、「口外無用」という言葉に出くわして、はじめて「無用」に「してはいけない」という意味があることを知り、それこそ「天地」がひっくりかえるほど驚いた。お笑いください。英語では「This Side Up」などと表記する。わかりやすくて好きだ。『曼珠沙華』(1950)所収。(清水哲男)


February 1122000

 旗日とやわが家に旗も父も無し

                           池田澄子

はや死語の感のある「旗日(はたび)」。広辞苑には「各家で国旗を掲げて祝う日。祝祭日」と書いてある。私のそれこそ「父」の世代の人々は、よく「旗日」という言葉を使っていた。戦前は今日の祝日を「紀元節」と言ったが、ことさらに「紀元節」とは呼ばずに、ただ「旗日」と言う人が多かったようだ。各家での国旗掲揚は義務づけられていたようなものだから、「とりあえず旗を出しとけや」と、そんなニュアンスも「旗日」という言葉にはあるようだ。作者はここで、とりあえずも何も、「旗日」と言い習わしていた父親も亡くなってしまったし、第一我が家には「旗」なんてないもんね、知らないもんねと嘯(うそぶ)いている。「旗」と「父」を同格に扱っているところに、皮肉がある。句の「旗日」は、特別に今日を指しているわけではない。が、いろいろな「旗日」のなかで、いちばん今日にふさわしい内容だと思う。嘯きのなかに、歴史的な根拠の無い祝日への怒りがこめられていると読める。わが家にも旗はない。買おうと思ったこともない。デパートでは風呂敷売り場に置いてあると聞いたことがあるが、本当なのだろうか。ご存知の方、ご教示乞う。『空の庭』(1988)所収。(清水哲男)


February 1022000

 風の日の麦踏遂にをらずなりぬ

                           高浜虚子

山の雪を背に、春の日差しを浴びながら麦を踏んでいる姿はいかにも早春らしい。たいがいの歳時記には、こんなふうに出てくる。見ているぶんには確かに牧歌的な光景であるが、踏んでいるほうは大変なのだ。ひたすらに「忍の一字」が要求される。地雷の撤去作業にも似て、細心の注意をはらっての一歩一歩が大切である。いい加減に踏んだのでは、たちまちにして根が浮き上がって株張りが悪くなり、収穫はおぼつかない。理屈としては子供にもできる仕事なのだが、いくら多忙でも、子供にまかせきるような農家はなかった。句は1932年(昭和七年)の作。添書きに「荻窪、女子大句会」とあるから、この麦畑は東京のそれだ。往時の荻窪や吉祥寺、三鷹あたりは、どこもかしこも麦畑だった。早春の関東の風は、ときに激烈をきわめる。土ぼこりのために空の色が変わる日も再三で、つい三十年ほど前までは、目を開けていられない状態におちいるのは普通のことだった。これでは、麦踏みの人も辛抱たまらずに撤退してしまうわけだ。気になって、虚子は女子大(「東京女子大」か)の窓からそんな光景を何度も見ていたのだろう。やっと引き上げていったので、ホッとしている。『五百句』(1937)所収。(清水哲男)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます