発売中の「クロワッサン」P.74に、我が故郷むつみ村の「ひまわり畑」。田中さん、御連絡深謝。




2000ソスN2ソスソス17ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

February 1722000

 白梅に藁屋の飛んで来し如く

                           大串 章

屋の庭に満開の白梅。典型的な昔ながらの早春風景だ。吟行などでこの風景を目の前にして、さて、どんな句が作れるか。けっこう難しい。そこへいくとさすがにプロは違うなあと、掲句にうなる人は多いのではなかろうか。うなると同時に、思わずにやりともさせられてしまう。句が、かの菅原道真の「飛梅(とびうめ)」の歌「東風吹かば匂ひおこせよ梅の花あるじなしとて春な忘れそ」を踏まえているからだ。この歌を知った梅の木が、道真の配所・筑紫まで一夜にして飛んでいった話は有名だ。いまでも「飛梅」として、福岡は太宰府天満宮に鎮座している。菅原さんが梅を飛ばしたのに対して、大串さんは藁屋を飛ばしてしまった。梅の木が飛ぶのだったら、藁屋だって飛ぶのだ。そう着想した大串さんの、春のようにおおらかな心を味わいたい。最近では藁屋も見かけなくなったが、三鷹市狐久保に一軒あって、毎日のようにバスの窓から見ている。「きれいに手入れされた屋根だけど、維持費がたいへんだろうなあ」と、ある日のバスの乗客。「あそこは大金持ちだから、あんな家残しておけるんだ」とは、もう一人の乗客。バスも会話も、早春の風に乗って藁屋の傍らを通り過ぎていく。『百鳥』(1991)所収。(清水哲男)


February 1622000

 山に雪どかつとパスタ茹でてをり

                           松永典子

日の「夏にしあれば」から、季節は一転して真冬へと……。実は、昨日の天気予報で「川鋭し」の故郷近辺に大雪警報が出ていたので、ぱっと掲句を思い出したという次第。もちろん私が子供だったころにパスタなんて洒落た食べ物はなかったけれど、饂飩(うどん)だっていいわけだし、作者の思いは時間を逆転しても十分に通用する。「どかつと」は雪とパスタの両方の量にかけられており、それだけでも作者の非凡な才能を認めざるをえない。加えて、素朴でのびやかな感覚が素敵だ。外の寒さと厨房の暖かさとの対比までは、少し俳句を齧った人には思いの至る発想だが、たいていはちまちまとした句になってしまいがち。ところが見られるように、作者は堂々としている。してやったりの小賢しさがない。内心では「してやったり」なのではあろうけれど(失礼)、それをオクビにも表に出さないという、いわば秘めたる力技の妙。きっと、この「どかつと」茹でられたアツアツのパスタは美味しかったでしょうね。と、思わずも作者に話しかけたくなるところに、真面目に言って、俳句的表現の必然不可欠性が存在する。私たちが俳句をないがしろにできない根拠が、質量ともにここに「どかつと」例証されている。『木の言葉から』(1999)所収。(清水哲男)


February 1522000

 われら十二歳の夏にしあれば川鋭し

                           清水哲男

生日は自句自註の日。夏の句で申しわけないが、お許しあれ。十二歳は「じゅうに」と読んでください。山口県の寒村に暮らし、家はとても貧乏だったけれど、精神的にはこのころがいちばん充実していたような気がする。「21世紀まで生きられるかなあ」「無理だろうなあ」と、友だちと話したのも、このころだった。学校を出たての野稲先生から「自分の将来」という作文の題をもらって、銀行員になりたいと書いたのは、なればお金に不自由しないだろうという子供の浅智慧からだった。夏ともなれば、川での魚釣り。他には、することもなかった。かんかん照りのなかで釣り糸を垂らしていると、ぼおっとしてくる。そんな状況のなかでは、次第に川との共生感が生まれてくるのだった。川水はどこまでも清冽で、一分と手を漬けてはいられないほどの冷たさ。鋭いとしか言いようのない水の流れ。そんな川とともにあること(しかも、たったの十二歳で……)のプライドを詠んだつもりが、この句だ。たまにしか旅行できないが、見知らぬ土地へ行くと必ず川を見る。自然に見入ってしまう。川はいいな。いつだって、子供の心で眺められるから。『匙洗う人』(思潮社・1991)所収。(清水哲男)




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